ショアーキャスターへの道

ここ数ヶ月間何をやっているのか?実は歩いている。色々思うところをである。
今年は何かやる予定である。その為のいろいろな準備が必要である。
体もなまっているので修行を含めてやっていこうと思っているのである。
どこかの捕まった作曲家のように胡坐をかいていては良い結果には恵まれないので
初心に戻って新しいことをやってみようと思っているのである。
魚釣りは何でも楽しいとは思うが特に何がすき?といわれると皆様々なことを言うと思う。
私個人は魚が釣れる釣りがすき。である。つまり魚種や釣り方ではなく魚と対峙する機会が多いほど
好きということである。修行僧じゃないので釣れるか釣れないかを主として考えているということである。
とはいってもいつも狙って大漁できたら苦労は無いのである。

ただいつも思うのは過分な期待は釣りにはマイナスということそのときそこに行って見て始めてつかめる事も
また多いはずである。新しい道具もそうである。昨年から色々な企画をたててそれを実行している。
私は本来作る側の人間である。通常、現場に行かずともある程度のものは作れるのだが
今年はスイミング系のルアーを多く出すので細かい点で迷うこともあり現場に行く必要があった。
まあミノーも色々やった末に決まり来月から生産に入れる目処が付いた。良い感じで上がっているので
うまくいくと思う。

(下のミノーじゃないよ。)

しかし弾はある程度出来たとして釣り場は?どこだろうか?ということで色々運動をかねて
探している。魚は釣らねば判らないことも多い。今年の傾向は昨年のような爆発力が無い。
寒さが不十分だったことがあげられる。それ以前の台風が海を混ぜなかったことも原因のひとつかもしれない。
桜の開花も非常に早く季節感のメリハリが薄れている。
まあ歩くことが目的なのでどうでもいいが
あっちこっちに出没し勝手に歩いている。最初は人と一緒だったが面倒なので最近は
一人で行くことも多くなった。
一人で崖を下り一人で歩きまわっている。といろいろ考えることもたっぷりある。
先ずはポイントの鮮度低下が遅いのでゆっくり実験できるのである。

ただ怪我すると致命的な状況に陥ってしまうということを除けばといういみであるが。
写真もろくなものが撮れない。しかしまあ適当にやれればそれでいいのである。



商売で魚を釣り始めて早18年が経過している。最近はカメラやその他のメディアやストレージを
持ち歩かずに現場に行くことは年数回である。最近はまるで携帯電話と同じで持っていないと
落ち着かない状態である。一種の病気ともいえる。
最終的には自分の為だが人の為に撮っている部分も多い

まあ最近は自分を試す意味合いも大きくなってきた。昔は出世欲が強かったが
自分が出来ることと自分が出来ないことがわかってきた今日この頃では
無理はしないのである意味落ち着いているとも言えるだろう。
でどこいらあたりをウロウロしているかというと過去に絶滅させたポイントを
パトロールしてみているのである。まだ残党が残っていると悪さをするので
撲滅する必要がある。それと、パターンがどれぐらい違っているか?というあたりで
もう一度検証する必要を感じているからである。


本来一度見切ったものは2回やっても9割方同じ答えが返ってくるつまり同じことをやるより
いくつかの新しいことをやったほうが情報が多いのである。
しかし、過去に築き上げた常識というものが行動にブレーキをかける。当然である。
何のために経験を組み立てたか?それが無になる。
先のことに対して違うことをやり尽くした感がある人間にはやっぱり
微々たる空気程度の事柄しか見えないことも多い。だが取り掛かりというものは
そういった微々たる解れから発見するものだとおもうのである。
強迫観念や焦りでなく一人力を抜いて考えることが何かを発見することになると思える。