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チャプター59
 ガンダーラ症候群 昔、若かったころ遠くに行きたいという憧れを抱いたことは私に限らず多くに人にあったことかと思う。与那国島やトカラ、オーストラリア等々いろいろ憧れる所はあった実際暫くすんでいた時もあった。だが今となっては甘酸っぱいただの寄り道だったかな?と思う。何故なら大抵の場合そこのフィールドが好きで其処に居たいがために其処に移り住むのであるが基本そこで社会的にきちんと生きていくというのとは大分遠いことが多いのだ。それはそうである魚がいる所は大抵の場合僻地であるからだ。相当な会社の経営者であっても其処に住むというのは大抵のリスクではすまない、大抵の場合人との触れ合いでお金が生まれるのが当たり前にして観光用のTシャツやその他グッズ売るぐらいしかさしあたって方法はない。 今はインターネットが普及して色々なものが簡単に拡散できるし 島や村という悪く言えば閉鎖的なところにポツンと浮いていた昔より敷居は低くなったといえるだろう。が しかし依然として若い頃の私と同じような病気にかかった人間の巣窟になりやすいのは間違いないのだ。その理由として一番に経済活動そのものが難しいというところにあるわけだ。悪く言えば普通の堅気の生活サイクルが出来ていない人というあたり。それはある意味当たり前だ自分の好きなことを前提に持ってきているからだ、そのため経済活動は二の次という状態になる。仕事は趣味の延長であってもお金を生むにはきつい事も多いその当たり前が出来ていなかった。若い頃は考えが短絡的過ぎてそんな感じだった。しかし目指すものが大分違っていたので私の場合やがて飽きて止めた。釣りはある意味好きだがそれから直面する問題を解決することのほうが好きだったからである。第一にわれわれは魚釣りで飯を食うという意味合いでは漁師さんの足元にも及ばない。魚釣りで一人前とは基本魚釣りで生活できる人なわけで 釣り船の船長やプロの釣り師は基本どれほど有名であっても生活のためにシビアに海に出て行く漁師には大分遅れているわけである。
そんな世界に飛び降りることもできずにくすぶっているだけの連中の優劣など何になるだろうか?結局は我々は素人なのである。そう思ったら自分ができることをちゃんとやって魚と向き合うほうがまともじゃないか?そう思ったのである。それにやはり働いて稼いでいろいろな物事を吸収するという意味合いでは私にとって島は不足しているものが多かった。オーストラリアも会社を辞めて働けないかと色々ウロウロした。だかこのあたりで気づいたのである。経験の積み重ねが人生ではあるが本当に自分がやりたいものが求めるものが何処にあるのか?それは遠い言葉のよく解からない土地でも魚だけは沢山釣れる僻地でもなかった。一見派手に見える遠い場所での生活より生まれ育った慣れ親しんだ故郷の街のほうが自分のやれる事が遥かに多いということを私は認識している。未だ島に憧れる人も多いとは思うが 釣りのプロへの道同様一過性の病気と見られる人のほうが依然として大半を占めているだろう。ゆとりが波及してどんな人でも表面は成功者に映っても、その影には親馬鹿や泣いている家族の姿が無いとは限らない世の中になってしまった。魚や同じ境遇の仲間とだけかかわっていれば一端の人間になれるなんて勘違いはしないほうがいい。

チャプター58
やっぱりスピニングリール。 まあどこかの雑誌によほどベイト売り込みたいのかなーみたいな記事が載ってたのでまあ一応コメントしてみようかなーと思っている。まあスピニングとベイトの基本的な違いは理論側にて既に掲載してある。雑誌の項を拝見しても別段変えることは必要とは思えないのでそのまま掲載しておきたいと思っている。例えばである。飛距離が欲しかったら基本竿のパワーや長さ変えるのが一番なわけでベイトかスピニングか?なんて話はどっちでもいい話なのだ。尚且つこの雑誌の比較項自体は固定場所自体が多すぎて基本誘導的な感じを毎回受けるところがまあなんともいえない感じである。例えばであるベイトでよく感じるのは水濡れ後の飛距離やラインメンディングである。どうせやるならベトベトのシリコンで巻いたあとや濡れ濡れの状態でどうなるとかそういったことをやってくれればいいのに、、、、乾燥したラインのデータなどどれほど当てになるだろうか?。私個人ベイトリール実のところ20個は持っている。ジギングリールやトローリングをはずしても10個以上持っている。別に飾りではない。だがスピニングも同じかもっと数多く持っている。だが正直キャスティングゲームでベイトだけもっていくなんてのは遊びのつり以外では雷魚を除いて粗無い。7万のリールつかった事無いのでそのシステムがよくわからないが基本的にベイトタックルのトラブル面においてのバックラッシュによるライン減少や固定されたレベルワインドとリーダーシステムの干渉 キャストモーションに対する飛距離とアキュラシーの問題から、またはルアーの重さ別のトリックキャストのしにくさ等に実用的な無理があるのだ。ベイトは決して嫌いではないむしろ好きだ。が、例えばバックラッシュ一つとっても夜間橋脚下で釣っていてミスキャストして橋脚にルアーが当たったら?それもコンピュータで止まるなら凄い話である。しかし私が持っているリールはブッシュにフルキャストで途中手前の枝に当たればもちろん重篤なバックラッシュが起こりラインをかなりの量捨ててまた釣りをすることになる。そういう意味ではスピニングは換えの新品のラインやスプールなどもっていく必要は無い。トラブルはあっても例えば真っ暗闇の橋の橋脚に思いっきりフルキャストで当てても例えルアーが粉々になってもそんなことにはならない。隣にキャスティングのプロがいてくれて代わりに投げてくれるなら別だがこっちは欲深い素人のおっさんで朝夕夜間は目の見えない釣り人なわけでそれでもやっぱハイリスクな場所を好むでそうなるとそういうトラブルは絶対に起こるのだ。つりという趣味は自分の傲慢と対峙しそれを押さえ込みつつ現実に出来る事を積み重ねて結果につなげるものだと思う。そういう中にリスクの多いものを現場に持ち込むことによる自分の目的の完遂が出来難い道具を選択することは如何なものかと思う。まあ ベイト使いは天才肌が多いのは事実かもしれない(笑)

チャプター58

進歩と現実逃避

まあいろいろタックルの有り様にいろいろ注文が多い人が多いわけだがそれもなかなか趣味としては面白いところかもしれないし現実問題個人の資質や能力、年齢に対する身体機能の衰えなどが原因の場合もあると思うがその判断基準はどこらあたりで線引きすべきなのだろうか?例えばボートゲームのジギングであるが近年めっきり竿が軟らかくなった、スロージャークのロッドはその際たるものだがトッププロのおっちゃんが言ってることはよくよく考えると堂々巡り的な事柄ではないのか?と思える節がある。ロッドがスローになると当然フックしにくくなる。理屈的にロッドが軟いしリールのスピードも遅いのでフッキングがしにくくなるわけでそこで伸びのないカチカチのラインを使うことになる話になっているわけだが???それって竿変えちゃ駄目なのか?なと結局思うわけで、ただガンガンジグシャクレナクナッタ爺の言い訳にしか聞こえない(笑)ジグに運動させるのに基本的に竿の弾性や強度硬さはそんなに関係ないわけで PEラインが伸びるなら伸びたでやり方はあると思うし、ジグ中心に 基本的には自分に合わせて道具の種類がぐるぐる迷っているようにしか見えないわけなのだ。伸びのない糸でグニャ竿と小型リールでシャクルのと普通のPEにガチ竿と中型リールでしゃくる違いがわからない。実際硬いロッドでもユックリジグを動かすことはできるわけで絶対無二的なお話しぶりは大分現実離れしている感は大きい。ジグの完成度より自分の完成度の割合を述べてくれればいいのに(爆)それに現場では確かにスローが効くと思えるときは有るがそれが全てではない 電動早巻きや海外の筋肉馬鹿のおっちゃん達の電動より早いジギングも結構はまって釣れる場合もあるわけで一概には言えない。釣りの結果には基本的に後付の推論しかない例え宣誓してして釣ったとしてもである。道具は世の流れに受け入れられるものが売れていくとは思うがそれが正解とはとても思えない事柄も多い。近年のボートヒラマサは7ft台から始まって今や9ft台である。(爆)それだけ長い竿を使う理由はただひとつヒラマサ釣師がキャスティングできない人が多いという現実なのだ。ボートで9ftを使うと飛びはするけどファイトはきつくなる30年前のGTフィッシング並みだ(笑)基本自分で取り込めないし浮いてきた魚自体も見えにくい確かに一理ある部分では有るとは思うが基本的にデカイヒラマサ自慢したかったら投げる練習ぐらいはやる必要があるのではないだろうか?確かに釣りも色々あって電動のボタン押すだけの釣から400号の錘を手巻きで4−500mから巻く釣まであるわけだが、何処を趣味の道とするかはルアーの場合本人の価値観と身体的鍛錬にも影響すると思う


チャプタ-57
相変わらず物理がわからない人たち(笑)
まあ面白い人が多い 幽霊信じるみたいにジギングの怪しいおっさんやシーバスのお兄さんの話を鵜呑みにできる人達が多い。忘れてはいけないのはその人は神様ではない同じ時間を生きている人が偶々釣りが仕事なわけなので若干は為になるとしてもすべてを知っているわけではない。その人間がもし間違ってしまえばそれに追従している人も勿論間違いを言うことになるからである。
最近デザイン移行でプロ契約しているメーカーでルアーを作ってみた。ヒラマサペンシル系なわけだが電話がかかってきて販売になったけど店の店員やお客からワイヤーが通っていないので弱いのでは?という話があった。またこの話である。なんで釣り人って幽霊話は信じて物理が解らないのか?とても不思議だ。ワイヤースルーは当社が作るような木に近い素材では当然のものである。ボディの破壊が起こる可能性が高いからである。とはいってもそう簡単には壊れないけど思いっきり船べりにミスキャストやベールガエリ等をやらかして硬いものに先ずはぶつけなければ割れたりはしない。インジェクションはどうだろうか?まあそれも同じことでボディが薄ければ割れてしまう。その際にワイヤーが通っているかいないかはある意味釣り人には死活問題かも知れないが先に求めるものがあってボディは薄いわけである。それに耐久的に一時ワイヤーでなんとか止まってとか言うがそんなに簡単に魚が壊すなんてことは基本日本の近海ではかなり少ないだろう。
それも55mmのディープダイバーに真鯛が食いついたとかそんな話でしかもフックではなくボディそのものを飲み込んだ場合に起こりえることであって80%は針やリングが伸びなければ魚はあがる話である。大型のスズキやヒラスズキのミノー等もワイヤー貫通が良いルアーなんてことを謳っているメーカーも多いが、ヒラスズキや普通のシーバスがルアーを壊すなんて経験は今の今まで一度もない。ということは基本インジェクションルアーでは要らないということなのだそれに8の字環やプレス番の強度がどれほどなのかそういう理屈で強いのか?それを考えているユーザーは少ないことがワイヤースルーへの反応や渇望を見れば一目瞭然である。まず基本的にインジェクションの場合ワイヤーであろうがプレス板であろうが埋没している面積またアンカーする容積が問題になる。どういうことかというとミノーレベルの貫通ワイヤーならワイヤーから外側のプラスティックの厚みがその強度となるつまりラジオペンチあたりでお尻からおなか側にペンチ先端にワイヤーを巻くように回せば簡単に中芯は外れるつまりアクションを犠牲にする部分を最小限にするために薄肉にしているわけだがそこはユーザーは無視している訳だ。ワイヤースルOKだからである。大抵の場合ルアーはテール部分が最も壊れやすく裂けやすい。尻のワイヤー部分の弱さで言えば細いワイヤーを使っていれば8環より弱いかもしれないのにである。それならアンカーの入った打ち抜きプレートで埋没量が深く抵抗容積が多い構造であればワイヤーより強いのは当たり前である。縦荷重でアイと尻のアイで70キロを大きく上回る強度が出ているのにもかかわらず。末端ニーズはワイヤースルーなのである。恐らく釣り竿のワンピースよりも2ピースはアクションや強度が低いとかそんなナンセンスな話が未だに囁かれている話なわけだが見てわからんかな?とまじめに思うが相変わらずの盲信ぶりには呆れるばかりである。しかもであるこの私が地面に叩きつけたりしてテストしないタイプだろうか?17センチのペンシルで10キロ程度のヒラマサならフック毎にに一匹づつヒットしても全く安心できると断言できる。これがもしテンション50キロで使うならまあ考えどころだが普通のワイヤーモデルも基本そのテンションでは持つわけがないお尻からワイヤーが10o程度引き出されたり裂けたりして基本使えないだろう。釣具屋の店員も含めてもう少し冷静な観察が必要かと思う。 重心移動の自由さやオモリの分散等ルアーとはそれぞれに作りやすい製造法や構造があるわけでそれを素材的に求める必要等から選択の必要が出てくるわけで毎度毎度意味の分からない保険的要素ばかりを優先することのデメリットは計り知れないと私個人は思う。日本のルアーの60%以上がインジェクションでありそれを発展させるうえでの価値観と言うのはなかなかスッキリとは行かないのだなと思う。

 



チャプタ-56
新製品の有り様釣り業界に限らずいろいろな
憶測や期待が商品に寄せられると思うが、よく出る新製品最近はこれで食いつなぐ会社も多い。5000個ぐらいをいっぺんに出して後は知らんぷり 販売時は満を持して作りましたみたいな大口叩く割にはあっという間に廃盤という状況、で次に改良版が出るかと思えば全くの違う方向からもう一回なんてことは良くある話である。作り方自体がOEMだから仕方がないといえば仕方がない、どこかにウチの商品もUZUと同じ所で作られているのでは、なんてことを書いていたがどれだけ憶測で物言ってんだろッて感じである(笑)まあそんな話はおいておいて製品の話である。新製品とは如何なるものか?新製品とは他に有るけど一応自分のところでも出しましたっていうのと全くの0から流れを出すために作りましたこれからこの流れを太くするために改良して作っていきます。というのでは大分違う。世の中にはいろんな考えがあって物理的な動きや理屈などから色々なヒントを貰い製品に生かしていくことがその道なわけである。
昔々の話をするとフレッドアボガーストのScudder、ギブスのポラリス、などトップウォーターの草分け的メーカーがあった。
メーカーに勤めている頃そういったルアーを参考にルアーを作った頃が懐かしいが、最近見たブログにその一部が東京のルアーの有名人が作ったなんてことが書いてあって笑ってしまった。誰が作ろうが別に構いはしないが、私がメーカーにいた頃に寝ションベン垂れていた世代が真面目にそんなことを書くこと自体おかしな話である。サーフェスプラグのデザインの源流はアメリカのルアー達である。それは間違いない。カラーリングやその他の詰めは甘いところが多いが基本的にアイデアに富み大いに勉強になるものが多かったと思う。我々がいま日本で世界にむけて作っているものは基本的にそれらの子供であり。決して無から作られたものではない。ゲームフィッシングを輸入してしまった関係上ある意味仕方がないところはある。つまり始めるのが遅かったからである。だが一つだけ我々の中にもはじめに発起したアイデアを捨てないで磨いて世相に合うものを作るという特技も存在する。大きな流れで言えば洗練して作ってゆくという方向なのだ。アイデアや作る技術力 釣りに対する愛情がないメーカーは消えてゆくだけだが、それを止めずに作り続けるメーカーにはそういったものができ始めている。ザラスプークやウイグルワートなどの有名な超ロングセラー級もぼちぼち出来てきている。ただ、大きなメーカーになると販売戦略上釣る力を持った良いルアーであっても簡単に廃盤になってしまう。皆が飛びつく新製品という言葉だが新製品ほど怪しい物はない。(笑)ルアーフィッシングで大事なのは新製品が出す数字ではなく成熟させて絶対無二の商品を作るという部分だと思うが、それは日本の釣具には欠けている気がする。




チャプタ-55
押される紙メディア
出版業界もかなり厳しい状況になってきている。あちこち問屋が潰れて割を食う雑誌社も多くこのままでは存続が難しいところも多い。私個人は基本的に言いたい事は自分のページできっちりといわせていただきその他に自分が楽しいと思ったことを雑誌で述べさせていただいている身である。メーカーのテスターもやっているが基本広告的付き合いは私の周りにはない。今を遡る事35年以上前雑誌にはステイタスがあった。広告といえば裏表紙や中綴じの各先生や名人が執筆される合間に差込されている程度だった。例えばであるテレビで番組の合間にスポンサーがCMを入れるのはわかる話だが番組中の中にテロップでスポンサーの宣伝を行うだろうか?そんなことをすればローカルでやってるテレビショッピングみたいなものである。ドラマの中のストーリーなどは基本脚本あってのそういうつくりでありその中に協賛メーカーの商品CMなんか入れられたら基本チャンネル変えたくなるだろう。ところがそのタブーをつり番組では普通にやっている基本的に製作側のアイデンティティやポリシーなどを感じるものはかなり少ない。一つはそういったテレビの仕事のとり方に問題がある広告代理店側がメーカーの意向に流されすぎる点でドキュメントであることをいい事に平然と行われている。マラソン中継中にミズノやナイキのモデルナンバー等のテロップがランナーの靴のアップとともに出るようなことはないだろうサッカーも野球も(笑)最近ではそれが雑誌に波及しているのだ。釣りの原稿はレクチャーやドキュメントを元に釣りそのものを掘り下げるものであったが近年ではただの広告情報誌なのだ。ひどいものでは釣果写真のついたただの広告が8割ー10割というマンスリーカタログとなっている。そんなメーカーの意向に流されまくった内容なのでテレビに出るほどもない適当な名人を広告を餌に本文中に押し込んで広告の続きをするわけである。そうなると確かに雑誌に載せるというステイタスはある意味メーカーや名人本人にはいいほうに上がると思うが。雑誌本体を購入するユーザーには非常に浅い内容の雑誌となり何を持ってそれを買うという目的そのものが失われていく。雑誌を作る者にも生き方を問われる時代がやってきている。勿論 広告を前面に出しすぎているメーカー自体もゆくゆく広告が信憑性のない薄っぺらいものと捉えられない様に雑誌の在りようには気を使うべきかと私は思う。何故なら誰でも思ったように人の目に付くように考えや情報を発信できる世の中になってきているからである。雑誌など見なくてもちょっとネットで検索すれば情報は得られる世の中なのだから。紙を買ってまで中を見たい人の気持ちを踏みにじらないようにメーカーも広告代理店も雑誌社も名人もきっちり作品作りをやるべきではないだろうか?

チャプタ-54
私の知り合いには物凄い釣りが好きな連中がいて一緒に行く度に面白い失敗をしてくれる。釣り人には幾つかのタイプがある。私のようにネガティブから入るタイプとポジティブから入るタイプに大別されるが私のようにネガティブ面を持つ釣り人は反省や後悔をベースに未来への保険を幾つも用意して現実的な失敗をしないように防ごうとする。つまり失敗が怖いわけで常日頃からいろいろな対策で釣り以前にいろいろな方策を巡らすのである。そういうと聞こえはいいが失敗しそうな日やそういう関連性のある船やつり場に対しては慎重に決断する傾向にある。つまりとりあえず行けば何らかのレスポンスはフィールドからあるわけだが自分の理想を追い求めすぎて「何とかなるさー」的な釣りには非常にネガティブな気持ちで望みやすい。ただ過去の事例に対する自分の出方を研究しやすいので釣りは割りに失敗しにくい。釣りの技術面でも対策を細かく練りやすいのでその点では釣りは上手になりやすい傾向にあると思う。ただし自分の気持ち自体は常にネガディブに支配を受けやすいのでトライ自体もすくなく対策はしても研究による釣り方やルアーの選択の思い切りは鈍い傾向になりやすい。一方ポジティブな釣り人はその逆  釣り場に行けば何とかなるとかとりあえず竿振ろうなんて釣り人も多い勿論釣りの種類や趣味としての対峙の仕方にもよると思うので一概には言えないがルアーをチョイスひとつも無い物ねだりも結構強めに出やすい、またそれにともなう失敗も結構継続する傾向になりやすい(笑)私には旧友がいてプロという称号を持つ人物がいるが毎回先輩の私から注意や指導を受ける人物がいる(笑)彼はこの業界も釣りも長いので基本プロと呼べる人物ではあるのだがいかんせんミスが多いのだ、内容的にはノットが抜けたとかPEがあわせで高切れしたとかルアーを物に当てて割ったとか素人級のミスを釣りの初めに起こしてしまうのである???それも毎回相手が何の魚とか関係なくなのである。私も分析好きなので長年その習性を観察してきたが最近やっと答えが出た。それは毎朝起きる度に脳がリセットしてしまうのである。つまり毎回釣りに行くとき興奮のあまり脳内興奮物質が出すぎて(爆)自分の経験によるコントロールより興奮であわせ切れ等の大失態を冒してしまうのである。(笑) 彼にとって毎日が生まれて始めての魚釣り的興奮に包まれるのである。
ある意味幸せな釣り人である。毎朝同じ場所に行き同じ魚を釣っても毎回が新鮮なのだ。実際電話すると大抵「ゴーーッ」。と風の音が聞こえるつまり魚釣りしているのである。気持ちの中で冷静に自分を見ている飽きやすい私にとっては爪の垢を煎じて飲みたいぐらい羨ましい。趣味への対峙の仕方は人によって様々だと思うが魚の習性が絶滅を防ぐ為に多岐にわたっているように、人間も色々なのだなとつくづく思う今日この頃である。

チャプタ-53
一寸昔知り合いがプロになりたいと言い出した。私は一銭にもならないからやめろといったことがある。そもそもそれは何だろうか?よく考える。因みに私はそういうプロになりたいとは思っていない。私は基本的に釣り場で感じる問題を自分自身で解決できる人間ではっきり言って変態釣り師 マニアである。だが多くの場合プロと呼ばれる人たちはメーカーの宣伝係りなわけでまあ芸能活動の傍ら宣伝をしている人を指している。プロとは言ってもメーカーが一寸だけ話聞いてもしくは他人を介して作ったものを適当にユーザーに推して宣伝しているわけである。その商品が究極の性能があろうが無かろうが一生懸命宣伝するしかないのである。それでは竹槍もって戦場に行かされていた会社員時代と変わらないので止めておけと言っているのだがどうも誤解されているようである。プロというのは釣りのプロという認識かと思うが 中身は大量生産のバリエーションも何もない中空プラスチックの普通のアクションのルアーで一生懸命魚釣ってそれをよさげに見せる宣伝マンを指している。しかも最低300万円は年間社員だとかかる経費はテスターに適当に小遣い程度(金じゃないところも多い)渡して「先生」,や「名人」だなんだと持ち上げてれば適当に宣伝してくれる便利な存在でしかない。つまり使い捨ての平社員以下の存在なのだ。扱い的には外注広告の一種、それでも寂しがり屋は辞められない。このルアー動きはそこそこだけど重心移動がついていて初心者から使えるルアーです!!私もこんなの釣りました。って 名人や自称メーカー称のプロが薦めるって話、なんかおかしくないだろうか?まあそんなストレートに言わないけど(笑)
チャプタ-52

裸の王様

昔々のはなしだが私は会社員だった。会社に自分の時間を売って金をもらうのがおおよその目的なわけだがその売り方はまちまちなわけである。基本的に自分に嘘をついてでも相手の気に入ることを行えばある程度の将来は約束されるのが大抵の場合であるが夢や目的が有ってその会社に入ったのにウンザリな毎日を送ることになる心の何処かでその脱線と戦う自分がいてそのおかげで心の病気になったりする人もいるだろう。実際同僚には夢破れて去っていった仲間もいる。今は逆に人の夢を預かる立場にいる。根本的には経営者にもいろいろいるわけでその全てが利益追求のために会社の方針を決めているわけではない、大きな会社であればあるほどもしくは行うことが複雑で難しいことであれば会社として継続する上で誰かにいずれは任せなければならないからである。そうなるといくつもの意思の中で会社が運営されていくことになるわけでそんな中で経営者でもない社員が出す答えは大抵ひどい決断である。そうなると最悪会社の衰退が始まる。社長の墜落も同時に起こってしまう。外部のオピニオンによる矯正も効きにくくなりまさに経営者は裸の王様状態になってしまう。そうなるとそんな泥舟から社員は尚一層逃げ出してしまう。高齢化が進み新規採用の雇用が厳しくなる状況でそんなことになるのは非常にまずいことである。目先のまとまりの為に始まった嘘もどんどん大きくなって挙句に販売する商品にもその影響が出始める。そうなるともう手の施しようがない。自分の安泰の為に始めた嘘は自分のおかげで終焉を迎えるわけである。そんな未来は御免である。自らが経営者になって思うのは人に嫌われてでも理想は失いたくはない。この一点である。

チャプタ-51
最近思いのほか沖が釣れなくなってきたように感じるが大きなサイクルにおそらくはまっているというのが本当のところだろうただ我々釣り人は船賃を払って遊びにいっているわけでお金と引き換えに楽しさを得にいっているわけでつれない船に興味はないのである。スカを曳くのがいやなので事前に情報は得るわけだがさりげなく電話するとたいていの場合何が今釣れてると言う話になる。ヤズやネリ、根魚等いろいろある、その中から我々は未来を予想しなければならないわけだが 私にとってこれはだめそうだなというバットワードがあるそれは「鯛なら釣れています」というワードこれのどこがいけないかというとまず鯛ならという言葉に他にないという固有の物を指した内容であることそして鯛という魚は基本沿岸に適当に分布する魚で餌でもまかない限りあんまり集合や密集が見られらい魚であることから作業効率が非常に悪い巻いたり落としたりを永遠に繰りかえす辺りに強烈に抵抗がある。鯛鉛は会社員だった頃にいっぱい作っていた思い出があるがなんというかこうである必要があるのか?という疑問が胸の中に広がりすぎて継続不能に(笑)釣り場自体も砂場や岩のなだらかな所をどことなく流されて魚探をみていても別段なにかわかるわけでもない基本ダラダラ流して一日が終わるのである。これが友人家族と普段しない会話を喋りながらやるのであればそれはある意味いい釣りかと思う、しかし 独りで行ってただひたすら同じ作業をするのはどうかとおもうわけである。なんというかルアー独特のアクティブさがまったくない。別に私は鯛という魚が嫌いなわけではない、むしろ魚の中では鯵と並んで食べるのは好きな魚である。しかし船釣りという大きなくくりで鯛つりがメインになると基本「鯛なら釣れています」。と聞くとどうしても何もつれないのか、、、。と思ってしまうのである。これは普段から瀬戸に出ている鯛釣船の話ではなくて普段ジギングやってる船からのはなしなので誤解しないでもらいたいが船釣り最後の手段の鯛つりの話が出始めると沖に行ってはいけないのか?とかんじてしまう。

チャプタ-50
鳴り物いりで出版された雑誌でも忙しくなってくると結局中折れしてくるもんである。本文とキャプションの大きな落差や違和感としてそれは出てくる。つまり原稿は本人が書いているが写真の注釈や説明は本人以外の人間が書くわけでまったくの別物記事になってしまうケースも多々ある。基本雑誌は広告誌的役割が殆どで現在もその傾向は続いている。雑誌にたれそれがお勧めのタックルなどと書いてあっても今や雑誌に載ってる釣り人のほぼ95%は利害関係の中に生きて釣りをしている。読者の購買目的による選択の中での物事を信頼するには其の物への客観的意見が参考になるわけだが、いまやその客観性は何処の誰がそれを提示できるだろうか?創り事がただ大きな川のように流れているだけである。
救世主的な何かが出てこない限りこれはきっと続くのだろうと思う。もの作りをするにはすべてが解っていないと難しいのだと自分が書いた項を眺めて思う。


チャプター49
迷っている教え子
趣味と仕事を兼ねた仕事はたくさんある。
自分の仕事を可愛がりすぎて利益の追求から逸脱してしまうとそれは趣味となり仕事とはならない。仕事とは生きて行く糧でありその中に生き様を求めるには社会人たる自覚と判断の元に匙加減が必要となってくるのである。
つまり生きて行くことを忘れて練り上げるものはある意味短命なはかないものであるわけである芸術性や作品として存在意義はあるかもしれないが少なくとも仕事とは言えない。この業界にあこがれる人間は多い、実質仕事ができることが前提というより釣りが好きだということのほうが前提の場合が多い。釣りが好きでとはいってもどの部分が好きでこの仕事を選ぶかは個人差があるだろう。テスターというならある意味ピンきりだが実質金をもらえて生活できるぐらいになるのは相当な芸能機能が必要個性や個人技能性能も高くないと長続きはしない。私が知る限り現在こういった職業を継続できている人物はお坊ちゃま君が?0%である。もし貴方がそうであるならもしくそうでない人はお小遣いや今の自分の貯蓄を使ってみればわかる。釣りで飯を食うというのは漁師以外ではなかなか難しい道だと思うだろう。才能というものは殆どの人が持っているものであり、やや覚醒に個人差があるだけだろうと思う。ただしそこに行き着くまでに何を思い反省しそこに至る道を見つけるかが必要となる。自分の地の利や人とのつながりも含めて。そこに多くの分岐があり簡単な道を選んで手っ取り早く釣り業界というのを歩く者やコツコツと自分が求めるものを作りこんで考えて歩く者もいる。簡単に自分に納得して始めた道もいつの間にか自分が歳をとり将来への不安に駆られてもしくは他人と上手くいかなくて一旦変更(挫折)という話になる。自分の趣味で生きてくことと他人の思いの中で賃金という鎖でつながれることはある意味相反する部分かと思う。
かといって一人でやる自信がない。一旦辞めた仕事もまたもや違う尻馬で再スタートすっかり棘は抜かれてまるーくなっている。そうでない方向を考えるに簡単な個人事業に手を出すことを考えてしまう。他人がやり始めたビジネスを見て同様な道を歩もうと相談してくる教え子も最近多いが実質接客性能をおいておき自身もろくに魚も釣り切れず、歩留まりの計算すら出来ないのにそれだけで食えるなんて想像すら難しい状況である。背中を押してくれた人のために頑張っては見たものの少々無理があった。ある時期の自分の頑張り方を間違った。そう冷静に思えたらそれは幸せの始まりである。

チャプター48
簡単なルアー
ルアー釣りを始めた頃私の場合は最初のリールはクローズドフェイスリールだった。でも釣り場でお兄さんたちが使われてるのはベイトキャスティングリール見ててかっこいいと思い新聞配達してアブを買った思い出がある。当事のリールの中ではそこまでバックラッシュしやすいものではなかったが子供時代で
熟練に時間を費やした釣り道具として記憶に残っている。昔から操作で難しいルアーもあった当時ヘドンのルアーが全盛だった。未だ神の作ったルアーとも呼べる素晴らしい動きとその操作性は40年以上経過しても現役で使える程である。素晴らしい限りである。ところで最近またバス釣りを始めた何故ならバスルアー作ってるからであっちこっちで自分の元生徒にとりついてはバス釣りに行っている、で、最近思ったことがある。まあクランクなどは仕方ないけどペンシルなどのトップの釣りでペンシルベイトを操作できないバスマンが増えている。でどんなルアーがいいかと言えばバドマウスやバズベイト等が流行っている。ただ巻くだけというのが流行るキーワードとなっているらしい。(笑)我々の子供の頃は自分が引っ張る方向に対して直角にニュルッと動くあの魔法の棒が自分の思い通りに動かしたくていろいろバスロッドも買いあさったぐらいなのにそんな難しいものは使わないのが普通らしい。ジャークベイトなどのちょっとした操作が必要なものもアウトらしい。いっそのこと生餌の泳がせ
釣りでもやればもっとサッパリすると思うが(笑ソルトの場合もペンシルは未だしもほかのルアーで簡単なというのはきっとあるだろう。ある意味スロージギングが流行っているのもこの傾向が見えるからかもしれない。別に難しいことをしてやるだけが趣味ではないが何かこう複雑な気持ちである。ただ巻いてつることによる面白さや意外性は確かに共感できる。折角高い竿使っているのにボートで一日ワームのドラッキングなんてやって面白いのかな?と思えるのはもはや時代遅れ的発想らしい。魚釣りは確かに目的は魚であるがその過程のアクティブな部分が面白くてルアーをやっているわけで別にゆるい魚釣りならほかにいくらでもある今時の人たちの価値観はオジサンとはちょっと違うみたいだなと思った。

チャプター47
小さな話
雷魚の原稿の仕事が舞い込んできた。雷魚の原稿は高校生以来書いていない。雷魚釣りはいつの間にかエゴの固まり見たいな著名人の嗜好か?そういう流れが自然とできやすいのか今やすっかりアングラの世界にドップリと漬かってしまっている。この世の生き物で人間以外で減っているのは別に雷魚だけではない、夢中な彼らの話を聞いているとまるで猫愛好家や犬愛好家の話を思い出してしまう。ではフナ愛好家の話はどうだろうか?といつも思ってしまうのである。私の子供の頃は掘りや川の脇で棍棒で撲殺されて捨てられた雷魚の死体を見るのは日常的だった。仕方がない人によっては害魚であるからだ。それに可愛がってるわけではない針で引っ掛けて空中で2−3回回転させた後または強烈に脊椎を損傷させてから取り込みである。これで雷魚が死ぬなんてことはお構いなし、水にやさしく戻せばチャラと考えるのは基本辻褄があっていない。ドラグを1ミリも出さずに近距離で無理やり釣っていること自体も問題なのだ。なのに釣った後の扱いや釣りに対する信条が問題になる。内容的にはレイプ犯罪者の仲間内で俺はコンドーム使うけどあいつは使ってないからあいつが悪いなんていう話と同じなのである。大体問題になるのは場所の話しである。あいつが載せたから釣り人が増えて釣りができなくなったみたいな話は日常的。確かにクリークなどに隣接する土地は私有地であり。地主の機嫌を損ねれば当然立ち入り禁止になり 時期や場所を考えず無配慮で、写真と同じ場所にさえ入れば釣りができるなんて甘い尻馬乗りの釣り人は多い。ビデオを買えばもしくはテレビを見れば、雑誌を見ればいきたくなるのはわかる。有名ジギング船や海の釣り場などはそういう風に人が集中するものである。じゃあ人が増えて自分が釣りができなくなるのが嫌なのか?自分ひとりの時は地主に注意されなかったしかし釣り人が増えたから釣り禁止?で増えた人のせい?というのも基本おかしな話である。実はむかつくけど許容範囲というのは誰にでもある。
雑誌を見てとかビデオを見てとかいう話は確かにライバル出現に過剰な恐れを抱く釣り人には驚異だと思うが、そのうちそんな人は来なくなる、釣れなくなるからだ狭い範囲で順繰り順繰り同じ魚を釣ってれば魚はいなくなったり擦れたりするものである。私を見ても昔は西山さんの本を読み漁り 釣り魚全集を見て芦ノ湖に憧れた時期がある。最初はコピーであっても基本趣味であれば自ずと自分で面白さを見出そうとするのは当たり前の行動である。それを途中からインターセプトするのは微妙な感じがする。自分の店でお客に何処が釣れるか言うのはOK?釣具買ってもらったからOK?では雑誌は何故駄目なの?メーカーが竿やルアー売るために作ったビデオは何故駄目なのか?それはおかしな話である。新参ものがいけないなら私はどうだろうきっと私の住んでいる地域で私より古い雷魚マンはそういない私は彼らに対して後からであっても優先権を行使できるのだろうか?それは人として許されるのだろうか?雷魚釣りというのは子供のルアー入門対象として古くから私の地方にあったものだ今ではすっかり環境が変わり生育場そのものが少なくなってきたそれにバスも増えて現場でのバッティングも多く発生している。 公的にリリース禁止やアカメ等の釣禁止というのが掲げられてはいるが基本大抵の場所は本来釣り禁止である。いい歳の大人が不法進入や子供限定で許される釣りを大人気ないとわかっていながらやっている現実を受け止めてそれを推しても我々は他人に甘えてそれをやらせて頂いているわけでそんな中に下らない仲間割れする必要はまったくない。お互い罪を背負って生き物をいたぶっていく他に道はない。
チャプター46
広告の人質 我々はメディアをある程度信じているわけだが例えばであるニュースで必要以上に事態をあおった報道をしたりすると我々はそのことに対して恐れを抱く、大震災の直後直接関係もないのに防災グッズや乾電池などを買いあさってみたり ミノモンタが朝バナナダイエットが素晴らしいと番組でいえばそこから1週間ほど近くのスーパーのバナナが品薄になったりするのは基本生活に対する恐怖心からくるものかとおもう。先日 つり雑誌の営業と飲む機会があっていろいろ話をしたがニュートラルから逸脱した面白い話を沢山きいた。面白いからからかって色々問題定義してみたところ返事も面白かった。雑誌やテレビというのはいかなるものか?勿論慈善団体ではない。漫画家が単行本の印税でいくら儲けるか?あたりの話のほうが実力主義な話である。つまり 今のテレビはいうまでもなく雑誌に対しては広告料を無視して雑誌の運営ができていない。漫画家のように純然たる購読層に支えられて成り立っていないのが現実なのである。つまり雑誌メディアとしての純然たる特集やデータの信頼性はハッキリ言ってアヤフヤなのであるそれにはさじ加減の何かが加えられている。ましてテレビなどは基本広告主の系列のプロが出演する巨大広告番組なのである。つり番組中にテロップで商品番号とか?がりよく商品紹介が行われるあたり。番組というより一日中やってるテレビショッピングの延長だ。それなら普通にエンドロールに会社名の入った番組のほうがスッキリする(笑ビンボー会社のうちにも@00万円で番組どうですかなんて話がくる。または付録のDVD@00万で付けれますがどうですかみたいな話もあるわけでそんな話は当然お断りしてその分無料動画で自社で製作して垂れ流しさせてもらっている。雑誌の話に戻るがつりが行き詰りつつある今日この頃だと会社の商品を売るためになのか?恐ろしい特集が組まれたりいろいろあるわけで営業目的と現実の楽しさを何処で折り合いを付けるのか?あたりに各社 各プロの苦心が見える今日この頃である。確かにいっぺんに数万個作っていっぺんに売るにはそれしかない。購買者向けのメリットは商品イメージのもしくはお金使ってマッセー的な投資からくる信頼性 安全性なのであるが、もし広告が禁止された出版業界が在ったなら、その中から釣り雑誌が出されるならとても読み応えのある釣り雑誌が出来上がってくることだろう。そこで回せて始めて雑誌社はそれなりの地位を確立できるだろう。

チャプター45
自分探しな連中 見本市や新製品情報が出ると営業サイドやそういった機関の連中の動きが活発になる。ただの釣具にしてスパイごっこよろしくあっちこっちの商品を見に行く連中がいる。我々は人類存亡の技術や情報など持ち合わせてはいないただの魚釣り道具なのである。そんな簡単なものすら自社の頭のいい人材ではまかないきれず外にそれを求める連中がいるうちの会社は変装せずに堂々と会社の制服を着て他社製品を見にいきます。それがポリシーの大きなメーカがあるがハッキリ言って正々堂々の意味が根本的に間違って捉えられている。恥を知るメーカーは少なくとも着替えて(爆)ぐらいはするもんである。私も会社時代が有ったので社員の気持ちは解るが 先進技術をうたいつつ他所からアイデアを借りようという 基本そんなことやるからこうしてさらし者になるわけである。大きなメーカーのやることは実に不可解である。もしうちの技術やアイデアで自社の参考になるものがあったら自慢のリールでも送ってくれればいいのに(笑.......
,,,,,,,,よろしくお願いします(爆

チャプター44
売れる理屈釣れる理屈
若い頃の話になるが社長から「そんな正論より売れる理屈を考えろ」。そういわれたことがある。二十代前半のある日の事である。当時会社ではオリジナリティあふれる玩具みたいなルアーが販売されていて、それの販促でフィッシングショーで色々ルアーの話をお客とするわけで、同じ釣り人同士話せば結果的に釣るか釣らないかの話になるわけでそこへ釣れる云々を遥かに凌駕する楽しそうなルアーの数々まさに突っ込まれところ満載のルアー達をバックに話をするのがつらくてレポートにも真面目に作ろうみたいなことを書いた覚えがある。そこで社長から一言いただいたわけである。当事私が信奉するルアー達といえばラパラやバグリーやストーム等の今でも人気があるものだった。当事この人何言ってんのぐらいしか思わなかった私も歳を重ねて世の中が見えてきてやっとその意味がわかりつつあるような気がする。いい物悪いもの釣れる物釣れないものに関係なく売れる理屈は別に存在する。売れるものは釣れる物ではなく購買者が使いたい物 良さそうな物なのだ。我々は釣る為の道具を作ってはいるわけだが魚を釣る最短目的に準じたものを必ずしも作っているわけではないからである。楽しめる釣り方に準じた物もそうだが 中には性能的にも意味がわからないものも不思議に売れている場合も多い。私自身はそういうのが未だ不得意なんで最低自分で使えるものを自分が基準で作っているじょうたいであるが世の中には自分以外の人頼みの開発で大ブレイクしている商品も数多くある。ここよりあっちの方が良いのになー」と思っても 実際良くても様々なユーザーの思惑がそれを選択しないわけである不思議だがそれが現実なのだ。先日色についてお客様からこのグローは何を模したものですか?
と問い合わせが来た。とどのつまりそれにウソでもいいから答えられる人は少なくともそのお客の心を捉えるだろう。勿論私の場合「そんなの関係ない」。ぐらいの返事になるわけでお客からそんな質問を受けるたび当時の社長が言いたかったことがどういうことか考えるようになった。が しかし以前と私も違う立場にいる。今は自分の責任は自分で取れる立場である。自然が人間ごときの思惑の範疇に当てはまらないことを日々感じえる釣り人として釣れる理屈が売れる理屈となるように励んでいければと思っている。


チャプター43

釣りに対する物理的考察
それがよくわからないで人に吹聴するオメデタイかたがたがおおいのかはたまたそれが真実か?笑える話が多い。特にテクニック論や性能論で物理的に無理と思われる事柄が当たり前のように話される。誰もが疑問を公にできず注意も出来ない。話は勝手に独り歩き始めて大笑いすることしばしばである。例を挙げると ウキの業界でよくある高比重 高浮力のウキ高比重なのに高浮力のウキがあるなら是非拝見してみたい。(笑。  実際ウキのメーカーの開発会議中には実に面白い話が当たり前に飛び交うらしい。私もメーカー時代工場長から呼び出されて「この飛ばし浮きを同じ重さでもっと浮くように作ってくれ」。と真面目に依頼されたが基本そんなものは作れるわけがない。勿論体積が増えれば可能だけれど小粒で高比重高浮力なんてまったく無理な話である。ある磯釣りの有名人が水中ウキが途中から沈まなくなる。との話をされたのですかさず海の真ん中で10円玉を海に投げたら途中で止まるんですか?ときいたら広い面に水圧を受ければそうでしょう」と真面目に返された。基本ひきづっているラインの容積や比重水の抵抗値水圧の関係である一定ラインから沈みにくくなる現象はあると思うが単体で沈むものが水圧を受けて途中で止まることは通常ないのではないだろうか?彼らが言うところの話ではマリアナ海溝あたりでは石ころや金属はおろか沈んだ潜水艦や船が中層に浮遊しているはなしになる。まさにおかしく笑えるけど時代が時代ならそんな真面目な人たちに無礼打ちにあってもおかしくない(爆。ジギングも最近そんな話を聞いて大笑いした、沖縄あたりでは流れに対して永久に横を向かせられるジグが存在するらしい。それが私のよく知ってるスパイラルジャークとかいうむかし大嘘で一斉を風靡した張本人から来ているというのがまたびっくりまあ私はある程度近しいので彼のためにいっておくが酔っ払うとドSな心が彼にめばえて「こいつどこまで言ったら俺のこと疑うかなー」(爆)ぐらいの調子の話になるのでそれをあんまり耐性の無い人が聞くと大抵大事になる。この場でハッキリ言っておくけどトンボの羽だろうが何だろうが鉛でできた棒は水にぶら下げたら真っ直ぐ下に立つのが当たり前です。(爆 こんな事書くと笑う人は笑うけど真面目に信じている人には聞こえないのが通常です。300年前まで世界は平らと思っていた人もいるぐらい 釣りの業界もちょっと言えばそのレベルのはなしが未だ横行している。水の中で浮く金属のはなしはどこで終わるのだろうか?(笑

チャプター42
ウフム逝く
あのメーカーと出会うのは中学生である。スーパーパルサーというロッドは 当時ダイコーのリューズシリーズとは毛色の違うロッドだった。やがて私が20になる頃UFMというメーカーはハイカーボンを売りに一躍発展を遂げた。私も何本かは当時購入したのは間違いない。まあ今から思えばどこに使ったらあんなにやわいの作れんのか?(爆
と思えるが、それでも当時はやわい中にも見妙なスッキリ感を求めて購入したわけである。当時ロングロッドは幾つかあったがダルーイ全盛のあの頃わりにまともに使えるのは価格も含めてUFMだったと思う。特にトラウト系はフェンウィックやブローニングなどアメリカ勢に負けずいい感じのロッドが多かった。当時は江戸前の曲がるロッドが全盛のなか
色々な分野の魁となるロッドがこの会社から出たと思う。ショアーGTや青物用にもトップゲーム用にも割合ハッキリとその目的に対して求められるものが作り出されていったと思う。やがてザウルス等のロッド事業参入でそういったキワ物を出さなくなり、江戸前の路線をつっぱしり同じ様な竿を出し続けついにいつの間にやら逝っちゃってた訳だが
仕事には金儲けと夢つくりの2つの面がある。そのバランスというのは難しい・それも傍から見るのと本人がやるのとではその視点には大きな違いがある。私もUFMの経営内部は知らないが時代の一部を作ったメーカーとして心に残るだろう。こうしたメーカーはいくつもある。また廃盤になってしまったルアーやロッドもである。そういう中に光を求めてはそれを持ち現場に向かう日々が懐かしい。

チャプター41
タグ追筆
先日またもやキャッチアンドリリースのタグ打ちのいいか悪いかが問題になった。人の獲物の行く末に興味は無いし魚が減ることに対する危惧においても無視しているわけではないが水の中の逃がした魚のことでどうこうというのも馬鹿げている。私も当初は先輩方の影響で行ったことはかなりあるが幾つかの
点が頭に引っかかるのでそれを行っていないし推奨もしていない。私もこの趣味が長いので魚の生死には数多く携わった。生かして持って帰る事も結構多かった為殺さない工夫を勿論していた。殺さない工夫とは 第一水からあげない 出血させない 急激な加速をボディに与えない等 当たり前の事柄である。
大きい固体ほど慎重に扱わないと非常に死にやすい。 つまり釣り上げてモタモタせず無傷でサッサと帰す。というのがキープしない生きたまま逃がしたい魚の扱いということになる。昔の話である。ケアンズからGTキャスティングのボートが沢山出ていた。日本は未だ世界に習っていた時代である。私もよく行っていたがある年からタグを打つようになったそれから3年もしないうちにGTの釣り自体は一気に廃れていまはトンといくことが無くなった。それだけで反対しているわけではないタグを打ち初めて2年目タグの位置に傷のあるGTを数匹釣った。肉が盛り上がりケロイドのような状態のものや治っているがその部分が凹んでいるものなどである。水中展望船などで船と一緒に泳ぐ魚を見たとき針のかかった魚だけ色が他の同種とまったく違う色になっていたタグのついた魚も同じだった。2年飼っていた雷魚に針の無いカエルを投げて思い切りフッキングしたら3日後に死んでいた。中学の頃のペットの死んだ思い出である。
私が言いたいのは魚は畜生とおなじだけどそんなに強くは無いということなのである。ちょっとしたショックで傷で死んでしまうものも多い。タギングの意味や主旨は理解できるがその再補の信用性がどれほど濃いのか?というところなのである。自然な魚が自然な状況でそうなっているとは
とてもいいがたいのである。人は経験から何かを感じたり学習するなら 「雷魚の逃がし方を丁寧にするよりフッキングを優しくするほうが彼らは長生きするだろう」。と私個人は思っている。ただ現場でそんなことは実際してはいない、ただ、人には指図しないだけである。GTやシーバスのタグは今も行われているが基本その魚保護という目線から見た良し悪しに決着の着かないままである。私は正直タグリリースには反対。狭いエリアでそれをやればGT等は一気にその数を減らすと考えている。何故ならそういった場所をいくつも見て感じたからである。魚を減らしたくなけりゃ釣り辞めるしかないけど私には無理。 シーバスもGTも食わない魚なので基本釣れたら逃がすか海にぽイが通常。11月ぐらいには釣って2分も水に上げれば水に戻して粗100%水底に沈んだままの状況は必至なシーバスも取材の犠牲者である。逆に釣った魚を生かそうと思うのはそう簡単ではない。我々がそれに参加して半死半生の魚を捕まえて経路がわかったとしてもそれは予想を裏付ける一つのデータとして有用なだけで真実はあくまでわからないしそうした沿岸魚種の移動経路の裏付けなら漁業データの詳しい集計の方がもっと信頼性があると思う。そういう意味で私はタグには反対だしそれによって魚が減るリスクが有ると考えている、勿論魚を減らすのは釣り人だけではない。しかしあの自然保護国ですらそうなっているということからも魚を生かすということと魚を狩るということは決して相容れないと私個人は考えている。


チャプター40
ガイド 有名人をガイドする人間は結構存在する。プロとはいってもテレビやビデオの遠征で何も情報のない状態から結果を叩き出せる人物は昨今早々いないし存在自体に無理がある個人的には知り合いの有名なお方との絡みは多くはないがぼちぼちはある。今年は2人ほど極近しい方々を案内することになった。私は基本マイナー路線の人間であるが今を走る有名人ともなると「大変なんだな」という部分が垣間見れる事があった。実践なき練習に意味なし 私はそう思う。人を案内するときどうするか?私はどんな辛い行程が有っても必ず釣れるであろうポイントに行く勿論人によっては行けなかったりもするわけだがその時点から確率は著しく下がり、案内という役目の影が薄れるからである。テレビの取材や有名人を案内する人間は現在の状況を伝えて釣れていますよという情報を流す。勿論それは間違いではない、ただ、案内というのはそれが明日状況が180度変わってもきっちり責任がとれるレベルでないとやってはいけない。自分のせいでないとしても、その人をわかって力量を見ていくつも候補を考えてやるべきである。そうしないと基本、つれない現在を過去の栄光の並べたてで埋めてその場をごまかす必要が出てくる。だから私個人も安易な案内は引き受けない。ところが今回は本人とメーカーの意向があったので引き受けた。しかも ヒラスズキではなくてイカである。まあ、その場自体は数千キロは過去に走り回った場所なので新しいところ意外はナビなしでいける。恐らく撮影は寒波が入る日からスタートであった。基本 浅い海で釣りする魚であるイカ釣りで急激な水温低下は痛い、可視光線下で比較的 暖かい場所にベイト自体も集まるはずでそれが氷点下の風に当たって海水温を急激に下げてしまう。イカに限らず釣りならどんな魚でもNGな日である。それをディレクターのごり押しで行くことになった。結果的にメインで釣るはずのプロにはあまり釣れず。現地の釣り人の細かい案内を聞いていた釣りガールが数ハイ釣ってプロは数は同じぐらい釣っていたがサイズは伸びなかった。ここで私は思うのだが。釣り番組というのは極めて撮る側に対して創作的 作為的なものであるものだと感じた。基本的に釣り番組を見るのにはいくつもの見所が存在する。釣りガールのお色気や場違いなトークなどである。。しかし基本的にメイン出演者のドキュメントが無ければ番組自体は面白くない、出演者が釣れない状況に
困惑しているのに先の見えないローカル案内人に依存するディレクター本来は釣り人のモチベーションを上げるのが役目でありながら基本そんなところからは遠く離れている。我々はプロの技術が発揮できるポイントというよりセンチ刻みの誰でも釣れるポイントへと移行していくのである。そんなことするとプロとしてのプライドに触れることになる。予想通り機嫌は悪くなり、ディレクター同様業務的な作業と移行してしまう。メーカーの意向でここに来ていた我々の努力も天候という大きな条件の前に破れたかたちである。基本的にローカルと釣り番組であっちこっちで釣り歩くプロではお互い初めての場所であれば差は出るかもしれないが、昨日今日の状況を知っているローカルがプロより釣るのはある意味当たり前とも言える。しかもイカ釣りでは技術の拮抗が見えるわけで私ですらぽつぽつ釣れる。前にも言ったが誰でも釣れやすいものが流行する。それを理解していないと単なるローカルのウザイ外野と見られてしまう。結局その流れで取材は終わり、イカプロを五島に釣れてゆく。時間が有るので遊ぼうということであった自分流の切り口も無いただの釣りから開放されたいという気持ちもあったため、共に五島に渡って磯に行く、久しぶりにヒラスズキを釣ってもらい、その後見本市用の短い動画をプロにやってもらった。私が撮影した。テレビとは打って変わって何時もの個性的なイカプロのトークが戻り機嫌よく数杯抜いて取材終了となった。夜も虫やカイトリで寝ずに楽
しい遊びをやってすごし翌日 歓んで帰宅いただいた。ガイドをするものにとってそれが何より嬉しい事である。

とまあこんな感じで1月のイカ取材となったわけだが、プロの我慢強さというのには傍目にみて相当なものを感じた取材だった。それから最近若手シーバスプロと雷魚釣りに行くことになる。2月の見本市から話をして予定を作って3日間シーバスではなく雷魚釣りである。それが面白い
し身内で唯一一緒に釣りしていない人間であった為積極的に引き受けてみる。結果的に魚も天候不順ながらもボツボツは釣る事ができた3日間私流であるが色々伝える事ができたかと思う。私も彼の有名プロとして台頭するだけの資質を垣間見る機会が出来て有意義な時間を過ごす事が出来た。プロと名の付く人間特にそれなりに名前の通った釣り人である人物を案内するなら。基本その人物が何を求めているのか?は基本判っ
ておく必要が在ると思う。安易に引き受けてしまうと基本大怪我の可能性がでてくる。釣りの話を他人にする時は基本控えめが適当である。勿論聞く側も相手の人間を見て割引した情報収集が基本である。有名になるとやたら挑戦者的な釣り人が増えるのも有るとは思うが、そう思って
いる人間であっても一度ガイドを引き受けたならその相手が誰であれ結果を出させるのはその人の釣りの技量の一部でもあると思う。


チャプター38 釣りの難易度
ハンディングというくくりにおいて魚釣りは決して難しい狩ではない。貝掘りや海草 山菜などにくらべればやや難しいがイノシシなどの獣からすれば大したことはない。ルアーというジャンルにおいてみてみても流行していくという観点からいえば簡単なもの 誰もが各々に答えを見出せるものが流
行する傾向にある。シーバス。ブラックバス。イカ。等今まで流行ってきたものは皆が一様に適当でも釣る事ができることなのである。オフショアーも基本ジギング等の大名釣りが流行のトップとなっている。磯もそういう中で簡単な部類から流行っている。我々業界人はそれを解りやすく釣り人側に
伝えていくという役目があるわけなのだが、何時の世も虚栄心や独占欲によってそうならない場合も多々あったと思う。最近のルアーの定番魚からの離脱が目立つのも基本的にそのシーンを引っ張っているプロやメーカーの思惑が楽しく簡単に楽しめるというあたりにさわらずに狭く真似難いものに
なっているという一因があると感じれる部分が大きくなってきた。たかがバス。たかがシーバスというくくりではなく自分の仕事の凄さを解からせるために説明して行く内容が多いのである。まあ私の場合は基本ソンナ釣りばかりが好きなために排他的になるのは仕方ないし 人が死なない様にする必要か
らも簡単に受け取られても困る部分もある。しかし、基本魚釣りは趣味でありその時間を楽しく過ごせる事が大前提である。その楽しさを伝えるのが我々の仕事であり、義務なのである。手前勝手な出し惜しみや 情報の歪曲は勘弁してもらいたいのがユーザーの本音かと思う。特にトーナメント等を
行ってプロというくくりに意味づけを行っているバスに対してシーバスを含むその他のソルトはプロとはいっても基本その正体は虚ろなものが多いのも現実なのである。有るとすれば記録魚を釣るかつらないかぐらいだが記録と本人の技量は基本比例するケースは少ないのが現実である。
勿論 俗に言う奥が深いという台詞で極めたい部分が有っての情報収集もあると思う。同じことの繰り返しに飽きやすい私もその階段は登っていると思っているがそれにしても最近の釣りは聞いたり読んだりする限り小難しいところが多い様に感じる。魚なんて居りゃー釣れるし居なきゃ釣れない
もんだと思えば釣れたとき結構嬉しい。何が何でも釣らなきゃいけないプロと同じことをヤルことばかりが釣りではないと私は思う。


 チャプター37 暗黙のルール
色々とルールや派閥が多い。私は既にそういう中でも勝手にやってろ的な立場なので色々お小言を頂戴することはないわけだが。例えばある釣れるシーバス河川が有ったとする。釣れる時期になると沢山の釣り人が立ち込んだり色々と釣り座を争うわけであるが、ズッポリ川にはまって釣るぐらいなら。岸に迷惑がかからない程度のボートキャスティングしたらいいじゃないと考えてしまうのは、基本的にあまりやってはいけない事のようである。基本的に釣りで人と話をすると虚栄心や存続欲、保存欲でやや自分勝手な方向に行きがちである。
そこで自分の行動の範疇以外の話題は基本否定からスタートの傾向が強くなる。つまり、革新派を保守派が否定する傾向にある。勿論夜間の安全や法律ナンチャラを持ち出せばそれも別に白黒ついて終わり何だがその真意はどこにあるのか?という部分は煙るわけである。基本日本は責任対策国家である。ちょっと前まで遊んでいた池や川や広場は柵や注意書き等がないと存続出来なくなってしまった。未だ不思議なのは海へ行けばライフジャケットが必要なのに川にそれは無いことである。話はそれたが、釣りにも暗黙の何がしは沢山存在する。ところが最近は魚自体が釣れなくなって皆がそんな悠長な決まりに縛られない傾向に動いているような傾向が見られる。元々、こだわりやすい日本人という人種というのも有るがルアーだけで全ての魚種をカバーすることは出来ない しかし未だこだわって釣りをする。(私もルアー釣りというくくりではその傾向は強いが(笑))。その部分が既に保守派的な風潮を生みやすいのであろう。そんな横並び大好きな日本人だと思っていたが海外もあんまり変わらないというのが最近わかってきた。日本でこれは変ったよねと最近思うのはロウニンアジというか熱帯のトロピカルボートキャスティングについてである。
GTフィッシングをご存知だろうか?私的に思うイメージを説明すると、熱帯の海原にエメラルド色にみえるラグーンで大型のトッププラグに猛烈にアタックしてくるあの魚釣りが思い浮かぶのだが、最近は沈むルアーもしくはフローティングに鉛をセットしてキャスティング後巻かずに一旦底にルアーをつけてインチクのように巻いてきて釣る事も多々あるらしい。
我々からすればビックリな状況いや進化なのだろうか(笑)確かに結果の出ない釣りほど意味の無いものはないかもしれない。しかし、雷魚釣りと同じムキムキの強面のこだわりそうなかたがそんなことを果たして自分から率先してそれをされるのか?というのはどうもイメージが・・・。
そうなると雷魚を普通にスピナベやプラグはおろかワームで釣る日もいつかやってくるかも知れない(爆 問題は魚が減り結果 釣り業界のユーザーに提示するつまり販売する商材が不足してメディアを使って云々という下りに皆流されているわけだが、
将来 魚が絞れてくる可能性から考えても釣りをこれから先存続させようとすればルアーオンリーというくくりはそろそろフリーになってもいいのではないかと私個人は思っている。というかあんまり競合が居ない時に何でも楽しむ主義なので漁獲には不自由してはいない。
暗黙のルールというものは人にたいそう迷惑をかけない限り無視しても問題はないかと思う。今のように結局誰かがフライングしていい思いをするなら自分が思うことを最初からやっておいたほうがスッキリする。楽しければいずれは皆がやってしまいその時にやってもそこまで楽しめるか?は疑問である。



 チャプター36    回帰か進化か?
釣り業界長くやっていると一般ユーザーにはあんまりいえないような事も多く見知ることになる。釣りとは趣味である。漁師的な釣りを展開したとしても漁師とはやや違うそんな人たちが使う趣味の道具であるのだが、業界の方々の毎年毎年流行を作ろうとする動きには関心する。その動きを見るとさも新しい発見の様にものやテクニックが新しい名前を付けられてその関連道具と一緒に販売される。たしかに自分の知らなかった事も現在まで粗誰もやらなかった事もあると思う。しかし。大抵の場合大きな周期のなかで回帰している感じの事柄が多い。確かに昔と今では釣具は進化したように見える。しかし、はたして釣り人やテクニックはそこまで大きく変わっているだろうか?私個人はそういった小技に名前を付けるなんて恥ずかしいことはしない。釣りを大きい部分で捉えているし、その細部に当たり前に点在するテクニック等に一々名前を付けていくなんて行為自体バカバカしい感じがするからである。真面目にやっている人には失礼なのでこれ以上言うのも悪いと思うのだが、自分がそう思えてしまう部分を書いてみたいと思う。釣りに於ける回帰するという事柄は業務的に言えば世代交代なく継続して釣りを行って来た同年輩の方々には頷ける部分も多く存在すると思う。ここ5年で回帰しているといえる釣りはそこまでないがここ25年においては回帰しているといえる事柄は大いにあるのである。これが自分の知らない40年や50年で見たら未だ数多くの回帰例が見れると思う。ここにおける回帰とは釣法やそれに使われる道具を指している。例えば、エギングのティップランやジギングのロングフォールジャークなどナイロン世代や漁師や一般の釣り人なら普通にやっている事柄が今流行っているし新しい流行としている。別に、このテクニックが無効といっているわけではい
ただ昔から行われてきた事柄からの引用である部分が多いというだけの話である。長くこの業界に居るとそういった波が見えてくるのである。ただ、それを踏まえて釣りをする必要があると思えるのである。私の場合は業界の波からは遠く離れたところに適当に自分の世界を構築して自分が信じるものや自分が釣り場から感じるものを作ってまた行ってゆく事が面白いと思うのでそういった今のホットなブームの話を冷静に聞き流すことになるのだが、人にはそれぞれそれに熱く夢中になりたい時もあると思うそういった人に水をさしても嫌われるだけである。多くの場合それは放置される訳だが、毎年のようにもしくは数年刻みでコロコロ変わるテクニックや釣具話には基本飽きが来るのが早い、基本市場がついてゆけない部分が大きいからである。 私の場合にも極端すぎてその傾向はあると思うが(爆) 釣り業界に限らずアパレルなどをみれば回帰のタイミングは更に早いこのあたりになると同じものや同じ系統などという微妙な違いで世に流行として受け入れられる。しかし衣食住と趣味とではやはりある程度の区別が必要だと思う。ここ25年で釣具はある程度進化はしたがどれほどか?と言われればどれほどなのかよくわからない。うちのフラッグシップモデルであるUC11ftだが販売して約12年が経過している。当事のロッドと今のロッドがする仕事は大きくは変わらない、未だβ2をお持ちのユーザーさんも結構多い。あれからロッドは軽くは出来るようになったがさほど素材量と強度のバランスを大きく変えられてはいない。リールもそうである剛性と軽さという相反するニーズにここ10年どれ程変っただろうか?それを踏まえて10年前に今の流行の釣りが出来なかったか?行われていなかったか?といえばそうは思えない。回帰は作為無作為にしろ釣りにも存在する。それはある意味先にいけずに足踏みするようなものかも知れない。人は反復しながら緩やかに物事を変えて来た。今の流行りも次の大きな転機へのひとつのプロセスとして捉える必要があるのかもしれない。しかし、少なくとも私は自分で回帰や反復なんて絶対したくない。死ぬまでガチガチ路線を行くつもりである。(笑)
チャプター35
人の生き様は色々ある。自分の思う通りに生きるのはなかなか難しい。不幸にも人には寿命もあるしその人の持つ運気や生命力やその他もろもろの影響が本人の意思に関係なくのしかかってくるからである。人の生き死にひとつにしても我々はそれに抗うにはあまりに無力であり、残された家族はその影響を大きく
受けることになる。東北地方を襲った地震と津波の被害はとても信じがたい結果をもたらした。海外のメディアは日本人の在り様に賞賛を贈ったがあれを見る限り当面はとても明るい何かを想像するのは難しい。私も早くに父親を亡くし人とは簡単に死んでしまうものだと思い知らされたくちである・
人は長生きもするし早死にもする。どうしようもなくて死ぬに死ねない人も居て、惜しまれて死んでしまう人もいる・この世は不思議だ。しかし、私も父親が死んで適当に行っていた大学を辞めて、好きな道で後悔なく過ごしてゆくことに心を決め現在に至る。若い頃は間違った選択も多く反省も多分に
することになったが基本今日ある命を明日に繋げその道を納得できる歩き方で生きてゆくことに心をおいている。それは単に自分が偶々健全な肉体を持っていたために出来ることであり。そうでない場合は自分ではどうかわからない。私の後輩に若くして体が不自由になった友人がいる。彼は体が不自由だしかし生きることをあきらめてはいない。久しぶりにメールが来て
学校に行くという内容のメールを読んでその思いに感動した。一方人づてに昔の同僚がいま乞食のようないでたちで生活しているという話を聞いた。彼はルアービルダーとして私より作る才能に恵まれていた。しかし現在電気も水もガスも止まった真っ黒な家で過ごしているらしい。私がこの道を歩むきっかけとなった親密な友人であったのでショックを受けた。
人それぞれに色々な苦難があるしかしそれを推しても生きていかねばならないのなら、それとしっかり向き合うかそれから目をそらして生きるかは傍目にみても大きな違いがある・。志半ばで命を失った人のことを想うなら、今生を受けている我々が出来ることは今を精一杯頑張ることではないかと思う。

地震の被害に遭われた地方に対して今は寄付や同情ぐらいしか出来ないけれども。復興して落ち着いたら訪れてみたいと思っている。



チャプター34
ビデオ製作
磯のルアーゲームをサンデーで出したのが27歳今から20年前のことである。実のところ釣りのビデオの話が来て何すればいいのか?
まったく判らないままただ釣りに行ってそれを映像に撮ったものがビデオ化された。それからテレビやGTビデオなど色々作ることになりどちらかといえば 他人の経費で釣りができてお金になるというあたりに魅力を感じていたような気がする。勿論撮影中最も大事なのは何か獲物を釣るというあたりなのだが昔は魚も多かったおかげもあって極端に苦労せずに映像が出来ていた感も多い。色々と月並みにやってきた。基本的に釣りのビデオはドキュメントではあるのだがあくまで映像を撮れる範囲という制約がついてくる。
観る側からは「画面を見てこれなら俺もやれる」と思うことは多いと思う。だがしかしカメラの前でという制約がついた場合それはなかなか難しいコトとなるのである。基本的にその点で私個人はそういう枠でビデオでの結果を出せないことで諦めの気持ちを持っていた。5年前にソルティの編集長から磯のビデオを出してみないか?という話があった。編集長 杉田氏とは長い付き合いで私がどれぐらいのところで釣りするのか?という事もわかった上で
やろうという話となった。そこで。撮影したのが前回のリアルヒラスズキという作品であった。私が出演にかかわらずDVDはヒットした。それから暫くして懇意にさせてもらっている菅原さんからこういった話を聞かされる。リアルヒラスズキという作品は釣り人も重要ではあったが、基本的に色々な材料を練り上げて杉田氏が作った作品である。私はその通りだと思った。確かに釣るだけの映像を繋げるだけなら単なる観光ビデオと同じである。それを、観るものに訴えかける何かに練り上げる作業また、ファインダーの向こう側にいる観てもらえるユーザーの方々に何を伝えるかは確かに作品の芯とも言える部分である。改めて自分が映像に出演する意味を自問自答したのは言うまでもない。それから、自分で映像を作ることに執着した。最初のオーストラリアのDVDは
持ち運べるカメラの性能もあったが自分自身の映像慣れの問題もあって納得のいかない部分が多かった。編集して思うことは慣れである。他のビデオを真剣に見ることはない私だが映像に映っている本人がその自然や釣り場や魚に押されていたのでは素人が釣るような雰囲気でしかないのである。ドキュメントである上では確かに遠征ビデオでそういった部分は女性釣り師や口達者な芸能タイプの釣り人ならそれでも面白いが真面目路線の釣り人がそんなウロが出る映像では基本面白くないのである。 自分は何が好きでどんな楽しさを伝えられるのか?そのことを頭において次にもう一度オーストラリアを撮りに行く。カメラの問題や持ち時間の問題はあったが一応はある程度のものが出来上がり始めた感があった。置きカメラ映像は確かに面白くはあったがそれを長くは使えない事が判った。次に渓流のビデオを手持ちで撮ってみる。渓流はヒラスズキ釣りと通じる所もあり。これが上手く撮れるかというあたりで編集の内容は大きく変わってくるのである。撮影時間も短く内容的にはやや乏しさはあったが
ある程度は撮れるという事がわかってきた。カメラの性能も上がり音声もやや高価なレコーダーを使えばいい音が撮れるようになった。問題の中身の希薄の面だが基本的にセルビデオは作る側の採算ベースで取材期間が制約を受ける。つまり、民間のテレビ局が作るドキュメントと税金や受信料で採算など関係なく撮れた何処かのテレビ局の作るハイビジョン映像の差と同じである。自分で納得いくまで画像を撮り繋げれば素人でも質のいいものが作れるのは当然である。それを思いつつ1年を費やして作品を作ってみたのである。そのベースに今度は杉田氏や菅原氏の力を借りて練り上げたのがパート2である。自分一人で出来ることに限界はあり最終的にはソルティで販売することになったが中身の編集は変なテロップ以外全て私が担当した・まあ杉田氏や菅原氏の悪乗り的な津留崎義孝監督作品の連呼だけは勘弁願いたい。あれだけは決して私が編集したわけではないコトといっておきたい。
私は宮崎駿監督ではないので(爆)


チャプター33
こだわりか?遠吠えか?
私もこんな性格だから今までいろんな言わんでよい事を言ってきた。釣りにおけるくくりにおいても拘りなのか?犬の遠吠え的な
言い訳なのか?自問自答してきたことが多々ある。昔やった恥ずかしいことにワールドレコードを2ポンドで作った時雑誌から依頼が来ていろいろ愚かなことを書いたが中にカジキの記録との対比を書いたことが記憶に残っている。当事カジキを釣ったこともない私が2ポンドで7キロなら 60ポンドで210キロに相当するなどと書くこと自体添削されて当たり前のことである。人生においても様々なスタイルと名前をつけた言い訳めいたことを散々やってきたが、自分が好きでやっていることにこういったくもりがあるのはいまひとつ美しくない気がする。その為手間と暇が更に必要となる。例えばフライや餌である。自分はルアーで飯を食っている人間ではある。しかし、フライロッドを
振れもせずにフライの事についてまた餌について語る事はとても抵抗があるので、比較出来るように練習している。そうして人並み以上になって初めて自分の言っている意味が説得力があるとまた自分で言っている事に自信が持てるようになるというべきかも知れない。更に話は細部にもいくとまたもや時間が必要となる。もう少し細かく言えば硬いロッドでの釣りは漁的だよとか、ソフトルアーを使った釣りはルアー釣りではないとか?ソルトの連中は基本ピンポイントキャストが出来ないとか?基本自分の持っている釣具の範疇以上の事柄というものに言及するにはある意味真実か嘘かという判定が自分の中で出来うるだけの経験が必要な気がするのである。なんにしろせめて遠吠え的にならないように自身では現場に入って前もってやっているつもりである。勿論その中に好き嫌いは当然ある。その中で拘りというべきスタイルが生まれて
くるのかもしれない。ただ、対外的にはスタイルやこだわりというものは釣り人としてのカッコ付け的な部分も大きいとは思うが釣り人としてそれをスタイルと呼べるまでには結構な時間とお金がかかるものだなと思っている。その場しのぎの対外的な保身か体面か?こだわりか?という部分は自分をアピールしたい若い連中にはとても難しい部分ではないか?とさえ感じるところがある。まあ、自分もそういったところを潜ってきたのは間違いない。ただ釣り師として思うのは魚釣りはその過程にどんな拘りがあろうとも確実に狙った通りに思うとおりに釣れるべきだと考えている。それを芯として組み立てていけば自分ができない事で言い訳的なブレ気味の拘りというものを現実見のあるものへと繋ぎ止めると考えるのである。やってから拘るのか、やりもせずやれもせず拘るということは大きな差がある、ただ、一通り体験してその位置に行くまでは手間と暇がかかる勿論それを避ける方法もある。それは何より自分の拘りや人のやり方に対して口を閉じておく事であるある有名な小説家が釣りの話をする時は両手を縛っておけ。と書いていた事があるが釣りで下手な突っ込みされたくなかったら口を閉じておけと私は言いたい。(爆
最近になって自分の限界がよーくわかるようになってきた。何せ退化の真っ最中だからモロわかりである。そこまでくると拘りというか自分が出来る魚釣りの枠内という仕分けが自然と出来てしまい。その中で釣りを組み立てて展開していく事になる。それをスタイルというのであれば、それは地の利や社会における自分の居場所をもとにそれは形成されるともいえるのではないだろうか?

チャプター32
テスターやモニターにはなるべきか?
私がテスター契約をしたのは29歳の時だったとおもう。その頃はテスターといえばセミプロみたいな扱いである程度の歳のいった人がなっていたと思う。メーカーがテスターやモニターを求める目的は販促にある。一部は開発の1アイデアをもらう為であると思うが昔は手探り状態での商品開発がどこも通常であったためある意味その時期のコアな釣り人の意見というものはそれからの釣具の広がりの予兆でもあったと思う。その為ある程度歳のいった社会性のある人物が選ばれることが通常であったと思う。だがここ10年15年でその様相は一変しテスターやモニターの若齢化が進んでいる。1つは釣り自体が行き詰まりを見せておりテスターやモニターに広告的意味合いが強くなったこともあげられる。雑誌に書いていれば物が貰える。というものである。若い連中にすれば魅力的に見えるがある意味破滅への罠でもあることに気づかない釣り人も多い。どんなにいいメーカーが付いても釣りが好きであれば1つの会社内でつりを終了することはまず不可能なのである。それなのにわずかな支給される物品とカタログや広告にあげられる自分の名前の為に周りから抜き出て
雑誌社に無料で原稿を書いていいことがあるのか?普通に考えると趣味が人の和をもたらすのに人の輪にいつの間にか入れなくなっている自分の姿がある。それをたった年間定価で20万位のことで失うこと自体ナンセンスである。
 私は29で広告代理店経由でいくつかの商品提供を受けていた。その後金銭契約の話がありそっちに移る46になった今もそのことは私にとって心に引っかかることだった。やってはいけない事。この狭い業界でそれを行うこと自体礼を欠いた行動だったと思っている。その後紆余曲折を繰り返し現在に落ち着いている。今の契約は自分からは決して切ることは無いと思う。それを思える自分の選択眼自体を育む必要があると思っているのである。貰えば勝ち組普通の釣り人より上位にあると勘違いしている釣り人も多い。何のために始めたのか?人を絶対的な力で屈服させる為?人に良くやったとほめてもらう為?それを思い出せない人物も多いのである。出世欲の権化と化して雑誌社にただで原稿を書く。これはある意味釣り雑誌業のボランティアとも言える行動である。
私もメーカーでもあるのでただの仕事をするときもある。しかし。釣りの本で有名雑誌にしてちゃんと原稿料を払っている会社は少ない。逆に言えば皆が買っている雑誌は雑誌社が可愛そうな勘違い者に書かせた元手0円の割合も
多いのが現状である。私もよく言われる。「津留チャンたまには原稿かいてよお金ははらえへんけど」。これが有名な雑誌の編集がいうことである。実際は我々には著作権が存在する。それを使うこと自体お金が発生するはずだが
釣り業界の現在の流れとして原稿料を払うところは結構少ない。最近雑誌に書かないのはそういった食い物にされるのが嫌だからである。なんというかそんな原稿料も払えない破綻状態で雑誌を出す意味がわからない。それを原稿書いてる人間にしわ寄せすることが間違いと思わないことも問題である。そういう中に社会的な善悪、や義理すらまだわからない若い連中を巻き込むのは反対なのである。メーカーも広告的な方向で物を渡すことも多くなってかなり低層化が進んでいるのが現状である。そういう中でそういうことを引き受ける側として自分を守る為に慎重な行動が望まれる。テスターになって自分がやってもいなくてもメーカーが普段やっていることに対するイメージが大きく契約者に
影を落とすまたその逆も同じくということを認識する必要がある。つまりメーカーが怪しいパクリ物作ってもテスターで1クッションあるのでとか,なんでもない普通の商品だけどテスターのトークで販促とかいう話である。つまりクッションや保険の意味合いが大きいのである。テスター側はそのメーカーのご威光にすがるといったメリットがある。広告を出している雑誌の取材の依頼などである。基本この世の中でタダで物がもらえる事などありはしないのである。ひとつの指針としてテスターになってから周りから友人がいなくなったりしたらその人はそれをやるべきではない。友人の定義すら判らないKY者ならそれもそれで幸せであるが(笑テスターやモニター自体は私の個人的なアドバイスとしては自分のポジションがある程度決まってしまってからなら
受けても良いが、基本タダで物をもらうことはリスクを生じるそれと自分の自由を天秤にかけるのはある意味愚かな行為ともいえると思う。また、次から次へと契約をしていく行為についてはやはり今までの事例からして
自己中心的な行為としかとれないと思うので吟味したのちにある程度の期間を同じところで過ごすことが条件となるとおもう。。釣り業界として次の世代を育てることは必要と思うが若い連中に接する方法としてはなるだけ控えめな
将来を見据えたアプローチが必要な気がしている。


チャプター31
自分はインターナショナルか?
「お前はインターナショナルじゃない」。タイの屋台でタイ人とヌードル食っていて言われた23年前のことである。それまで考えても見なかったことであった。食を受け入れきれない自分はある意味そうだろうと思う。
釣りはインターナショナルでも言葉や食がそうでない場合は確かにあるのは事実。自分の状況に対する問題解決自体が趣の一環ならそれをこなせない自分にある程度焦りはある。 子供の頃から好き嫌いが多い私にとって食をクリアーするのは未だ達成できないことが多い。昔から海外のレポーターがゲテモノ食いする番組が数々有ったがはっきり言って尊敬できる人々である。あんなふうにはとても出来ない。まあ、食えるからどうだと言うわけではないと言われるかもしれないが問題を解決できない自分が嫌なのである。言葉の壁もとりあえずは公用語ぐらいは何とかレベルにはなったが英語圏以外はまったくアウトである。日本にも色々ある。活き寒鮒の丸カジリは私のいる町のごく近くで行われている話である。ジギング中船長に食わしてもらう動くマグロの心臓 あとは虫がいるかもしれないいろんなもの食べる前に自分の危険予知が食べさせないように体に拒否命令を出すことも食べられない要因となっている。例えばである。20年前のタイの屋台でこんな光景があった。とりあえず穴あき丸いすと折りたたみのテーブルをかき分けてカウンター近くのテーブルへ、適当に頼んでスタンダードな感じのライス麺ヌードルが出てきた。熱いうちに何口か食べて???なんか違和感ある風味が・・・。ただの香草であるわけだが当時は狼狽した。そしてふと屋台の傍らを見ると使用済みのどんぶりが洗われている。その洗い方がまたすごいごみバケツみたいなものに水が張ってあってそれを例の親指がどんぶり内に折れる持ち方で抵抗にならないように水の中をサット2回潜らせるのである。使用済みどんぶり、バケツ、洗い上がりという3つの工程が歩道の上地下置きで2秒単位で繰り返されるさまを見たとき。胃からさっきまで飲み込めていたものが出て来そうになった。以来それをどうかしようと頑張るが未だ克服できない部分は多いのである。そういえば当事のタイは店でジュースを買うと唯のビニール袋に氷とジュースを入れて何回か使ったような口の部分がペチャンコなストローを刺してゴムで縛って渡されていた。市場でピラフを頼むと旨そうなのだがカニの甲羅がそのまま粉砕されて入っていたりした。 当事栄養補給はタイで売っているりぽDだった。。日本でも厨房の話はいろいろあると思うが海外のそれは更にすごい。色々食べたが思い出深いのが奥山君と行ったスリランカのカレーの老舗 給仕がずらりと並ぶ
普段考えられない雰囲気の中 これがチキンこれがビーンズだビーンズは甘いと言われた。既にサフランライス自体からなにやら鼻を強烈に刺激する辛そうなにおいがしていたがそれに自分でペースト状になった冷えたカレーをボッテリと控えめに注いだ。これが暖かいならきっと鼻についてはずである。でそれを口に運び味わうのだが、その辛さときたら異常である。なんというか味わう余裕がない。一口食べるごとに椅子から猛烈に立ち上がりたくなる衝動に襲われる。カレーを残しつつやや辛くないライスを一心不乱に食べその5倍ぐらい水を飲んだ。 そこを何食わぬ顔で出た後30分でトイレに行くことになった。
各有名人が海外のへき地に行っているが経験と言う意味では衣食住での食が最もクリアできにくい部分であると私は思う。私は食べ残し率世界1の国の住人ではある。全てクリアしたいがそのやる気とは裏腹に結構自分のポテンシャルの低さに苦労する部分も多い。今までホテルで一番こいつは酷いと思ったのはクリスマス島のホテルであった。こいつはかなり酷かった.昼飯のサンドイッチ朝飯のあと自分で作って持っていくのだが内容が卵トマト硬い食パンベーコンそれに小さなりんごである。自分は結構こういったプレーンなものがすきなのだがあちこちの比較からするとここが一番グレードに問題がある。これに比べればオーストラリアなんて素晴らしいところである。食で苦労することはほとんどない。ただ釣りにおいてもインターナショナルという定義はどこらあたりにあたるのかといえば方々に知識や技術的な見識が有る人ということになるだろう。それを踏まえて文頭の自分はインターナショナルか?
そういわれればまだまだインターナショナルとは言えない
   

チャプター30
釣具への理解。
釣具に携わってはや35年業務的には26年が経過している。釣具を理解するこれはかなり難しい部分でもある。今はなんとなくそれは受け入れられるが若い方々はそうも行かない部分もあるかと思う。例えば竿やリールである。雷魚ロッドを買ったとしよう、ロッドを試しにいったら折れた。折れた経緯は色々あるがとりあえず折れたことをメーカーに言う人は多いだろう。私も昔はそうだったからわかる話である。30ポンドラインと書いてあって30ポンドライン使って思いっきりあわせたり藻をひいたりして折れたとき確かに微妙な感覚であろう。しかし、よくよく考える必要がある。自分はこの釣具をどれぐらい理解していただろうか?というあたりである。お金払いたくないのでメーカーに汚れて見たいと思うのはまだしも、使っている自分への反省や懐疑的
な感情を持つ人は少ない。だが、私も色々壊してメーカーには毒を吐いた口であるが。今思えば本当に正しかったのか?と思える部分も結構ある。雷魚ロッドに戻るが基本的にあの釣りで折れない竿は無いとも言える釣りである。魚以前に釣りのシステム自体にロッドの折れる危険性を多分に秘めているからである。折れてもしょうがないと思える行動が多すぎるのである。もし折れないものが最高ならロッドは今のように新しくなる必要はまったく無い。グラスのソリッドでも使っとけば良い。GTもしかりである。実際もっと使いやすいロッドは作れると思うが、ある面での安全率というものをかけるがゆえにどこの竿も同じ物になってきている。体を鍛えることが第一でロッドは壊れない事という設計にならざるを得ない。何故かと言えば人によって釣具に対する在り方が違うからである。竿は本来壊れ物である。だが私の26年におけるロッドの破損は20回程度だと思う。ある程度の設計の物ならそれほど壊れるものではない基本壊れる原因は釣り人側にあることが全体の9割以上あると思う。自分が竿メーカーやっているから書いているわけではない。あくまで自分が歩いてきた道で言っているに過ぎない。自分が今までロッドの設計上の問題でロッドを破損させのは2例しかない。雷魚ロッドでチャンピオングリップを使っていた時に破損したこととザウルス時代に印籠のロッドが連続破損したことぐらいである。(当時印籠のロッドは折れやすい傾向にあったと思う)あとは釣り人の問題が殆ど長いロッドを持つときの歩き方の問題やGT釣りに投げ竿を使ったとき。車やその他のものへの立てかけ。落とし。雷魚で魚との距離が近いのに思いっきりあわせ過ぎて折れる。など等竿がいつか折れるものとして頭に入れて使えば未然に防げた事故は沢山ある。釣り場や普段の釣具への扱い自体に自分の傲慢さを反省しなければならない部分が多いのである。リールもそういう点が多い確かに今までインフィニットの逆転などで被害にあったことはあるが、では新品ではならなかったことがどこまで使ってそうなるのか?日ごろのメンテは完璧だったのか?というところの自分に自信が無い部分も多いのである。リールもハンドル?げが通算5回これも単にメーカーに対して壊れたとのいうのは簡単であるが実のところファイト中の応力の問題まで視野に入れた設計かどうかというのはメーカー側の保障するところとは大きくかけ離れている。最近はPE全盛となりリール直接での根係り等のラインブレイクに関しては基本的に行ってはならない事項にもなっている。海外は更に壊れない事に対するニーズが大きく先日一緒にした外国のGTフィッシャーマンはロッド3本折ったぜ、等と訳のわからない自慢めいた発言があったのでその場で「ロッドを折るという行為は釣り人としてロッドを理解していないからだ」。と訂正した。基本的に釣における樹脂ロッドのあり方は極端な例を除いて使う人の理解なくして快適や究極という文字はつけられないのが現状である。つまり日本人であって釣具が壊れて何か人のせいにしたくなるようなら求める快適さや究極という文字は忘れる必要があり、その逆であれば釣具は使い方が悪ければ壊れる物として扱っていく必要がある。ということである。 世界における日本の釣具はより細分化され発展していまや世界1の釣具とも呼ばれている。その中にあっていろいろのテーマや目的に応じた製品が出てゆく中で 、釣具、ロッド、りーるという漠然とした定義はもはや当てはまりにくくなってきているというのが現状ではないかと思われる。

チャプター29
老釣り師
既に仲間入りになっている。どこがそういう部分か?というと体の瞬間的な判断力の低下である。例えば堤防のテトラ周りの移動等である。先ずは目が付いていかないのである。テトラの頭から頭に飛ぶときに2−3ならまだしも連続になると自分が信じられない。自分なりの注意もかなりしつこくなって来たようにも思う。つまり。昔は何も考えず飛んでいた部分も、少しは危機管理的部分が頭に出来てしょうも無いところで怪我したくないと思うようにもなっている。自分の体力との比較がよりリアルになってきているといえると思う。確かに昔は自分が出来る部分に対する見積もりが甘めだったりするのは間違いない。歳をとればやはり自分をより理解してくる。力やエネルギーというよりコツという力を使って魚を釣ることになるのである。しかし釣りの種類によっては難しい部分もやはり出てくる。GTやマグロ等のつりにおける持久力やヒラスズキの走破力などで
ある。心技体という言葉がある。釣りというものに関してやはりそれはある程度若い方に有利な部分が存在するのは確かな話である。 フナ釣りに始まりフナに終わる。ルアーで言えばバスに始まりバスに終わる。イカに始まりイカに終わる。そんなもんかもしれない。老いというものを受け入れなけばならない歳になってきた。先日ウズの新名君にまたどこか行こうといったら冗談半分にもう少し津留崎さんが歳とって動けなくなってフーフー言うようになってから行きます」。といわれた。光栄なお話であるが現状こっちも結構つらいのは間違いない。ただ、精神的に頑張っているだけの話である。いつか今の釣りが出来なくなったらと思えば確かに寂しい話である。が、しかし実際どうかはわからない。その時になればその時の楽しみがきっと見つかるだろう。 村越さんと2人でアジ曽根に鯛の浮き流しにでも行くかもしれない。どこかの声優や編集と焼肉釣堀もいけるかも。今を守ろうとすればある意味惨めでもあり、幸せでもあるだろう。ただ、今思うのはもう少し同じ楽しみが続けばいいもう少し
今の釣りを知りたいと思うのである。しかし、昔は本当に訳がわからないことをやったと思う。先月号に5島のへぼの記事が載っていたがその島上に上らずに普通ーに1週していた。姫路の神島や沖の二股 与那国の立神などなど確かに無茶をやっていた。事ある度にあちこち登るのを繰り返したが最近はやや落ち着いてきた。釣りがわかって来たこともあるが現実の自分を見積もっている部分もあるのである。「まだまだ若いもんには負けんよ」。何かにつれよく出てくる年寄りの台詞であるが、実のところ人に負けないより先に折れそうな自分を奮い立たせることのほうが先決な状況である。まだまだ折り返してやや行
ってる位置ではあるのでとりあえずやれているが今後の楽しみのポイントをどこに持っていくのか?によって釣りの内容も変ってくる可能性もあると思う。 大物釣りで釣りに来ている年寄りがフーフー言いながら魚を釣っていたら、
これからの自分に照らせば馬鹿にせず暖かく見守ってやるべきと思うに違いない。

チャプター28
商品や釣りに対するコンセプト
先日さるお世話になっているメーカーに行って話し合いをすることになった。そこで久しぶりにこういうのが今の流行です。というお話を聞くことになる。釣りの中にもこれが最近の流行というものが存在するが、パッケージのウンチク同様に中身にも開発会議の時はどういうのが売れます。なんていう話が多い。私も開発経験者であるわけでその意味はわからなくも無い。しかしそれが嫌で自分で物作っている私にとって売れ筋など必要とは思えないのである。「売れ筋」。というあたりで既に2番で人の穴を追うような話である。じゃあその売れ筋をそのまま作って売れば良いという話になる。自分がやりたい事は確かに金は発生するが本当に売り上げ目的であれば私なんぞに聞く必要は無いのである。それを暗に言われている気も多分にするが私が作るコンセプトはたった1つ「自分が使いたいもの」。これ以外には無い。これで売れなくても仕方が無い。私は映画が今でも好きでビデオをよく見るが一回ヒットするとよく似た名前の映画が出て来るのをご存知だと思う。こんなのを数億円はたいてよくもまあ作れるもんだと思えるものからいろいろあるのだが。基本尻馬に乗る行為である。なんというかこんな芸術作品要素のある商品にもかよと呆れるのだが。例えば最近のミノーである。売れるミノーは?売れ筋は?というとなんとも味気ない。。今のミノーの現状たるやくそ細い事が必定である。じゃあいっそアメリカンドッグの串にはり付けて売ればよい。基本的にルアーというものは
水流で何らかの動きをするのが通常である。がしかし説明書きにかかれるような機能をはっきり出すのはある程度の大きさが必要なのである。ルアープラグを使う時点で夢が見れそうも無いもので釣って長続きしたことはかつて無い。情緒の無いキャスティングゲームでの爽快感や達成感は決して味わえない。売れ筋や流行というわけではなく今このポイントで自分が使いたい物。必要とされる物であるべきであると思うのだ。パッケージには夢がある。だがポイントで選択するものはいったい何か?自分の釣りのコンセプトはそのルアーの説明や性能に合致するのか?そのあたりが難しいのである、趣味という枠であるので当然夢や楽しさがなければなら無い。それを売れ筋という言葉は阻害するのである。うちのルアーは飾りやパッケージに興味が無い。適当にビニールに入れてあって。間伐材の場板にppバンドで留めてあるものが通常である。PL法対策の説明書きが記してある。ある意味不親切であると思うが仮に説明を書いて何人その使い方を真にやっていただけるかはわからないのが現状であろう。また趣味であるがゆえにルアーを使いこなす。また理解するという意味でもその発見はそれが個人のものであるべきである。と考えているのである。第一美辞麗句を自分で書くのはこっぱずかしい事この上ない。だからある程度適当に紹介しているのが現状である。私が売っているものは少なくとも自分が売れ筋と思うものではなく。欲しい、作りたいと思うものである事は間違いない
08年末に九州発の釣り人のインタビュー記事が本になった私が一番前の本であるが適当に担当者と喫茶店でだべってそれを担当が記事にしたものが出ている。原稿料もなにも発生していないしょうも無い仕事だった。話はさておき。編集で私のくくりは釣り人になっていたが実のところ私がデザインしたルアー自体軽く数百万個は世界中に販売されている。また、来月から国内向けにも販売しなおすらしいが、数で競えば日本でもトップクラスである。数を自慢するわけではないただ今の売れ筋として作らなくても基本的にちゃんとしているものならいずれは売れてゆくものもあるだろうということであるただ先の映画のように目先の興行成績を伸ばさんが為名前すらかする程度のものをつけて売るのと同じように売っていく必要性がはたしてあるのか?それは疑問である。人の後からいいものを出していくというのは確かに頭の良い話ではあるが(実際はたいしたものは何一つ無い)そればかりをやり続ければ会社としてのレベルやビルダーやプロスタッフとしての底を見られているようで真面目にあほらしくなってくる。たとえ会社はそうであっても社員としてはそうあるべきではない。開発やテスター担当というものはテスターのおかげである意味無責任な位置に居るのが通常である。ただ責任というものでこういった商品の開発におけるもので過去誰も責任など取らされてはいない。そんな会社のほうが珍しい筈である。。なら、何故に流行りに流される必要があるだろうか?理由は大まかに言っていくつかある。テスターが製作におけるレベルが低い場合、製作のせの字も知らない釣り馬鹿には確かにそういった向きは難しいところがあると思う。そうなると影武者であるメーカーの開発の出番である。馬鹿みたいなもしくは物理的に不可能な話を横で聞きつつもそれに近いものを差し出す役目である。はっきり言って会社の為とかチームワークとか思いもしないことを考えていないとやってられない仕事である。 そういう位置でいろいろやっていると自分が天才に思えてくるものである。そうなると対外的にも横柄な対応になりがちである。そうやって適当に物が出来ると今度はプロの力で市場にねじ込みが始まるのである。基本的にルアーのパッケージの裏書は当初のコンセプトはどこかでさっぱり忘れられルアーが出来てから書くことになる。

チャプター27
釣具のあり方。若い頃はやはり物欲に支配される事が多い。腕は1組しか持っていないそのため2セットを同時には使うことは出来ない。にもかかわらず釣り道具を見ると買わずにはおれない。最近も3年悩んだ末にシマノのコンクエスト300を買ってしまった。2000円のベイとリールがする仕事と38000円のリールがする仕事は何処まで違うのか?といわれると正直あんまり変わらないといわざるを得ない。釣とは趣であって職ではない。知り合いには無理やり職にして色々揃える人間もいるが趣味ということは技を習得する事がまずは先決なはずである。だが道具遊び的感覚も釣にはあると思う。この年になっても釣具屋にいくと帰りにレジになにやら物を持っていっていることが多い。利便性や快適性にひかれるような気もするが実のところその道具、作品を試したいというのが本当のところであろう。釣りというくくりにおいて甘いながらも自分のつりを枠にはめているのである。時々おせっかいな親切な人間が良くも悪くもそれを他人にまで波及させようとするわけであるが 実のところ釣るか釣らないかという観点において高級な釣具が必ずしも必要とはいえない。先にも述べているように釣る道具を使いこなす事に趣の面がついて回るからである。よくプロがこの道具がベストです最高です!という時があると思う。確かにその道具は最高であろう。つりのテクニックが50として道具のレベル
が100ならテクニック70のレベルで50の道具を使っている人間に勝つ事が出来るだろう。しかしこれでは素人がよく陥るカメラ理論である。例えば4万円の通常のデジカメを買ったとする。そんな人が次に15万円の一眼レフカメラで写真を撮ったら写真=金という構図に陥るのは時間の問題である。絞り値 やISOなど知る必要も無い普通ーにシャッターを切れば適当な画像が撮れる。更に30万円台に手を出せば更なる快適が待っている。ただそれは趣味として成り立つのか?疑問である。釣具にも多少それは当てはまる。確かに大きなメーカーのフラッグシップモデルはある意味その時点の究極をさしているがそれをどうするか?というのはあくまで釣り人側にあるわけでその人のあり方にも現れるだろう釣具は利便性を追求するものでは面白くない。ある面不便であっても難しくても使いこなすという事を頭に置けばもっと尖ったつりを展開できうると思う。 最新鋭の釣り道具を使うというのはある意味ロマンでもあるが究極に発達している釣り人におけるその伸びは微々たる物である。だからこそ難しい道具に走らざるを得ないがそれは高級品というわけではない。自分がどの程度のどんな下駄をはいていて釣りを展開するか?というてんにおいてこの釣具の購入は趣なのか?道具遊びなのか?は見る必要があると思う。


チャプター26
特許の使い道
実のところ特許好きな人が多い業界である。個人の権利を守るというか?他所に真似されないようにとるのだけれど
見てみると本当に大丈夫なのか?と心配になる特許がある。例えば、最近バイブレーションの背中が尖がっているの
が特許とうたっているメーカーがあるのだが、鉄板バイブはどうなるのだろうか?あれってとんがってないの?
それに昔々ジョグラーーってB級の本でミカンだ何だと言われていたバイブレーション作ったのは俺だけど
あれも故意に尖がらせているんだけど外出の製品がある中で特許は有効なのか?一寸疑問である。
釣具につける名前も実は大変なのである。2例ほど他社虐めの例を知っている、なんと言うか構造や製法で特許は判
るが
釣具の名前でなにやら適当な難癖を他社に付けるのも一寸大人気ないそのお陰で嫌いなメーカーが増えてしまう。(
笑)これは物語と思って聞いてもらいたい。あるルアーが沢山売れていたとする。もしくはそれを売ろうとしていたとする
。それを見ていた業界でも非常に大きなメーカーの窓際で毎日雑誌読むしか能が無いオジサンが自分の存在意義を社
に示さんが為に大騒ぎする。釣具というくくりについている名前で実際ルアーについているわけでもない名前を登録して
いるお陰で売れているルアー屋に汚れて名前を替えさせたり、金取ったりする話があったとしたら貴方はどう思うだろう
か?私は少なくともそんなメーカー好きにはなれない。特許のあり方は自分を守るためにあるわけで相手を陥れるため
にあるわけではない。確かに法律には準じているがなんと言うか心が無いのである。そんな会社の姿勢は作る製品構
成にも反映している。法にふれなければ何でもOKというあたりである。そういった時の言い訳は釣具の発展の為に競
争は必要?じゃあ特許で他社を牽制する意味はなに?と聞いてみたいものである。


チャプター25

講師にトライしてみる。
釣りの学校での話が出たので行きだした。34歳あたりの話である。釣りのプロを養成する学校だった。そこで何を教えるのか?実のところ最初の頃はかなり迷ったものである。こう見えても未だ人前では喋るのは苦手であ
る見本市なんかは特に嫌いである。メーカーブースで何しゃべるのか?未だ悩むのである。常に自分を見つめるもう一人の自分が喋っている自分の言葉を弱めるのである。断言できないあたりに問題がある。よくいるプロには何とか商法
みたいにアンタはこれをやらんと明日死ぬ」と言わんばかりの高圧的断言で話が進むが私にはそれが出来ない。テキストに書いてあることすら懐疑的に思えてしまい。なかなか苦しい授業だったと思う。引き受けたのは自分に無いも
のを磨くためでもあった。退職間際になってある程度授業の本質に迫れるようになったと思う。まあもう辞めてしまったので中身は喋れないがこういったことをやってみたりしていた。眠い顔の生徒がいたら授業を一旦ストップ白い紙と鉛
筆を用意させて、皆が知っているというキャラクターや物の絵を書かせるのである。時間は約5分授業に支障が出ては いけないので手短に行っていた。例えばドラえもんやポケモンのピカチュー等である。案外簡単そうだが8割以上の生 徒が上手にかけないのである。これには実は本質が隠されているが殆どの生徒が判らずに卒業したはずである。例え ばルアーである。ルアーが好きで学校に来ている生徒が100%のはずである。だがいざルアーを削らせるとルアーが 作れない。絵で書くだけでも出来ないのである。絵が描ける生徒はより詳しくその情報を持ちその書き方を知っている。 ルアーもそうである。作る技術も必要であるが知識や生み出す力等いろいろ必要なのである。広く見れば冷蔵庫を作 れる人や車もそうである、釣りのプロも販売のプロも同様なのである。好きという漠然とした感覚ではなくプロは細かい 分析やアイデアそれに技術が必要なのである。基本私がルアーをデザインする時はほぼ1−2回で販売品に近いもの が出てくる。頭の中で完成していることが殆どで唯一微妙な水の流れにおける調整のみでプロトはあがる。私はドラえ もんの絵はかけないがルアーの設計はできるのである。まあそれが20歳で出来ていたかといえばそうではないと思う 。ただその考え方さえ理解できれば自分が行く道も見えるのではと思ったのである。私は自分がやっていることに意味 を感じないと面白くないので居眠りや等は一切ゆるさなかった。そんな中でも居眠りする生徒は過去数名居たが全部 が全部福岡の有名プロショップに行ってしまうのは不思議だった(笑)居眠りはしても理想は高い見たいである。 まあいろいろ有ったが1つの業種で10年やれれば十分だと思う。気のいい生徒との繋がりは未だ切れてはいない。 大企業の殺伐とした人間関係とはちがって生徒とのつながりが出来たことは1つの財産であると思う。



チャプター24
雑誌社との付き合い
雑誌社へ投稿を始めたのは高校生ぐらいだった。文章を書くという点において
不得意な私の場合必ず添削されるのである。仕方が無い国語はいつも2−3が通常であった。 ただ、問題は文章においてはエキスパートでも釣に対してはそうではないのである。そうなると 伝言ゲーム調で読者に対して歪曲された情報が伝わるのである。こうして内から見れば雑誌に載っていることが 必ずしも本人を表すわけではないということを心得ておく必要がある。たとえば私が書いているソルティだがお姉さんが 編集しているらしく、私のネットの原稿とかなりの食い違いが出てくる。基本ネットの情報のほうが本人が書いている 分正しい。あんまり文字分量が多い時に結構起こりやすいことである。メディアという中において 人の原稿を預かる以上きっちりとそれを伝えるのが責務とは思うが。実際は徹夜や人員不足でそこまで回らない 状況らしい。だから読者もある意味軽い気持ちで読む必要があると思うのである。 雑誌にもいろいろな雑誌がある。やはり若い頃は自分がかっこいいと思える雑誌社に載ることを求めたが 何処で書こうが自分は自分と思えるようになって、会社を選ぶのは辞めている。その向きを考えるのはメーカーの 広報の仕事であって自分には関係が無いのである。売れている雑誌に載せられて雑誌の勢いで見られる のと自分が書いていることで見られる事は大きく違うということである。 しかし雑誌というのはあくまで雑誌でありその中に責任があるわけではない。読むものとメーカー側の興味の狭間に いる彼らの苦労は並大抵ではないだろう。ただジャーナリズムは確実に失われるのは間違いない。 こんなことを書くとまた干される訳だが依然書いていた。有名ビジュアル系雑誌でジギングの特集依頼で 編集がアホな原稿依頼をしてきたのでクソみそに意見したらそれから取材は来なくなった(笑) まあ、何につけても仕事と生き様を同じ向きにするのはなかなか難しいと思う。 紙メディアはポータブルメディアとして優れている点も多いが、情報の時間差や中身の信頼性における部分で これからは映像やネットなどと戦わねばならない部分も持ち合わせている。これからの戦略や有り方が 問われるだろう。また、メーカーつきのお抱えテスターも同様である。



チャプター23
ガレージルアー
会社にいると基本会社のいやのところも見るわけで大体3年もいるとかなり多くのことが判って会社がいやになる。若い時は特にそういったことが表面化しやすい。ただ嫌じゃどうしようもない。自分はどうなのかよらば大樹の影的な
日和見的存在船長の悪口は言えるが舵はとれない。これが現実である。結局は7年かかって会社を辞めることになる。暫くは旅行をしたりしつつ何かを探すことになるわけだが、いずれは金が底を尽き仕事をすることになる。幾らか金を貯めてはつりに行き知り合いのところに転がり込んだりもした。長くなってくるとカードの未払いでカードの差し止め等もあったと思う。会社にいた頃の鼻息はだんだん落ち着いてきてしまうのである。しかし、ここで辞めてはどうしようもない。自分が出来ることからやってゆこう。友人がやっていたルアーショップに商品を出させてもらったり、アルミジグを作り始めたのもこの時期である週3−4日は橋梁等のPCコンクリート造の関連のアルバイトをやりながら後の半分はルアーを製作した。 最初はアルミジグとウッドのミノーを作っていた、ここで大きな転機が訪れる。今江プロの育ての親とも言うべき人物に出会う当時ザウルスで専務をやられていた人物である。業界の顔ともいべき人物とであうのである。当時ルアーの増産を余儀なくされていたザウルスの実質の立役者的存在である。彼がいたからこそザウルスは大きくなったともいえると思う。技術的な顧問契約をしてラインを見つつ、自分のルアーも一緒に作らせてもらえることになった、その頃にビデオの仕事も入り「磯のルアーゲーム」と平行してルアーの注文はぼちぼち来るようになった。コンクリートの仕事も出来なくなり、いよいよ自分の好きな仕事で飯を食えるようになってきたのである。忙しくなり夢を共に追いかけて兵庫に帰った友人を呼び寄せガレージルアー工房(GL工房)として歩くことになる。つるポップやつるジグ、つるミノー等ここで生まれた。自分でデザインしたルアーが世に出せることは一つの喜びでもあった。だが友人はいつしかデザインという道よりビジネスを選択するようになった。もともと営業出身だから仕方ない。問屋が仕切るようになって爆発的に売れたツルジグの塚を作っていいくらい売れたらしい。らしいというのはといわれるかもしれないが既にデザインのみで経営は彼に任せていたので実情はわからないのである。金は確かに欲しいしかしそれだけが仕事の目的とするには私の頭は一寸頑固すぎるのである。早死にした自分の親父の事がトラウマになっている様で人生に意義を求めるのである。時間をおかずGLを出て今の会社プロビルダー集団ギークス5(爆)を作った。事業家は一人もおらずただ面白いと思える品物を作るのみである。問屋の付き合いを一切排除してマイナー路線をまっしぐらであるが人生面白くなければよろしくない
ささやかでも自分で積むものが多い事ほど面白いからである。 チャプター22
UCが出来るまで
先日雑誌のインタビュー記事項の取材で何故硬いロッドがいいのか?という質問があった。まあブッチャケ硬いロッドは売れない。何故なら使う人を選ぶからである。HPの総論に書いてあるように硬いロッドが出来ることは多い。だが、扱えるのかどうかは本人しだいなのである。だが残念ながら私は他に使うロッドは無い。これを使える使いこなすことこそが趣味であるからである。雑誌にいろいろ書いてある基本スポンサーの言いなりな釣り雑誌に真実や自由な論評が載るとは期待できない。自分の話は自分書くのが気分が良い。硬いロッドの理論を受け入れてしまうと柔らかいロッドのアイデンティティが崩壊する。そのため見て見ぬフリ的な行動があった業界であるがちょこちょこなにやら動きがあるのかいろいろ働きかけがあるようである。ついに雑誌社まで動きがあるのか?的な感じである。当の本人は今更何聞きたいわけ的な感覚でのしごとだったがどんな記事項にまとめるのか?楽しみである。まあ見ないけど。
そもそも硬いロッドが必要になってきたのは30年程前ナイロン全盛の時代にショックでフッキングさせる必要のある雷魚釣などで硬いロッドがでてきた。バスロッドもフリッピングが流行りだし硬いロッドというのは時代の中にポツポツとその足跡を残している。ただ圧倒的多数が柔らかいロッドを追求しただけのことである。今で言えば共和国と一部少数民族の対立のようなもんである。そのポツポツを全て拾ってきたのが私である。本格的にがちがち路線を確保できたのはやはり社員やテスターになってからのことである。メーカーが自分のモデルを出してくれるのがやはり一番のメリットである。だが社員の時は売れずに営業から苦情が出た。そんな現実があってもラインアップ出してくれたザウルスはすごいメーカーだったと今も思う。確かに特殊と思われたがちがちだが今は普通になりつつある。つまり営業的には取り掛かりが早すぎるのである今は流行の浸透がメディアのおかげか早くなった気がする。しかし最初に作ったシイラ用のボートロッド売れなかったが2−3年後に他社から同じような感じで売り出され各メーカーも必須アイテムの1つとしてラインナップされた。そこからはいろいろな機会に恵まれいろいろ作ることになるわけだがいろいろメーカーの繋がりがあってできるロッドには限界があるということを思い知るのである。つまりロッドの設計担当とのポリシーの共有が出来ない場合が多々あるのである。心のドス黒い濁りすら感じる事も度々である。そんな駆け引きを行いつつも相手の力量を測るような事も目的とやや違った方向を感じつつ行うひつようがあったのである。スポンサー商品への監修商品は基本余程の変人か天才でなければ他所のコピーと思える商品しか作れはしない。商売という枠にいつまでもはまるからに他ならないのである。ではどうするか自分で責任を取るしかない状況でロッドを作るしかないのである。ロッドの設計範囲というものは基本素材の安全圏内というのが当たり前であった。この常識的範囲を広げたロッドを作る事が必要であった。つまり海に突き出す桟橋からおのおの海側の砂底の地面に道標のように竹やりを刺したとする。竹やりは当然人の常識の範囲で桟橋から手を出して刺すわけだが一人で行い海に落ちてはいけないというルールがあったなら、槍をさせる距離は自分のバランスが取れる範囲内でというのが基本となる。今のロッドの設計範囲もその範囲にびっしり隙間無くさされた槍と同じであった。だが、過去の時代時代に世界を広げたのはそういった者ではなくその先に危険を認識しつつも存在感を出せる者であったはずである。劇的な軽さと使用感を持たせた。ガラスのようなロッドは他人の嘲笑を感じるほどに飛び出た品物だった。後発で出したメーカーは少なくとも実績を見て安心とともに販売できただろう。だが当初の他社の反応はあくまで静観
であった。やがて1つのスタンダードとして認識されるところまで来ている。一番すごいのはそれを試した私ではなくお金をだして買ってくれた沢山のひとたちだと思う。私を信じて買ってくれたそして使い続けてくれている人々に
感謝である。

チャプター21
テスターとクリエイター

見本市はげんなりするほどパクリの応酬であった。パクリ物にわざわざテスターが説明を入れるなど滑稽な図も多い。
きっとこの人たちとは頭の構造が違うのだろうと笑いさえ起こる。形や機能など様々なものが無責任に新製品よろしく
販売されている。特にひどかったのは知り合いのテスターに自信たっぷりに紹介されたロッドやリールなどである。
テスターもテスターだがそれを真に受けてまんま作ってしまう開発の無能さ加減には閉口してしまう。
デカイメーカーだからオリジナルというのはまったくありえない。業界を引っ張る役目からは
逸脱している。使う人材を見れば売れればなんでも良い姿勢が浮き彫りである。
前にも言ったが釣りがある程度うまいだけですべてを制するほど釣り業界は甘くは無い。
そんなことを続ければいずれは消える運命になるだろう。
テスターとクリエイターは根本的に違うということを認識するべきだと思う。無理する結果どこかの何かと同じ
を求めざるを得なくなるのである。そんなのは見苦しいばかりである。
しかしこれからは釣り業界にも必要な言葉が1つある。それは元祖という言葉である。それすら普通に
パクリにつけられるともう何も言うことは無いが。これからは元祖何々とかエゲツナイ応酬合戦が繰り広げられる。
いっそのことパクリにも元祖がつけばすっきりするかもしれない。
大体最近までアルバイトしていた、場所には釣りが好きな連中が数百人やって来るが
好きでも上手下手や才能の有無が大きい100人いても光るのは1人いるいないである。
別にそこに限った話ではないがその100分の1どうしにも優劣が存在するのはいうまでもない。
メーカーもそのあり方により質をしらしめているということをもう少し認識すべきである。
会社員とは夢を見れないところが多いがそれを他にしらしめるのは美しく無い。
少なくとも釣りで金を稼ぐものはクリエイターとしての認識を持ってほしいものである。

チャプター20
大物との会食?

私が中学生の頃プレイボーイという本に面白い連載が掲載され始めた。プレイボーイといえば中綴じの部分にその購入目的が集約しやすい雑誌であるが。やはりこの年代のころは非常に興味がある本であった。古本屋で立ち読みしていたら見た事の無い魚の写真と文章に目が留まった。オーパという題名の紀行文である。神田氏のアマゾン川もその頃読んだ為余計に興味がわいた。この人はきっと釣の神様みたいな人なんだろうなと感じたのは間違いない。その後釣具メーカーの研究開発に居る頃にまたその人をごく近いところで見る機会がやってきた。あの本が出て約10年が経過しているだろうか?ある日の事社長から呼び出されて「お前イトウという魚知っているか?その魚を釣に行くルアーを作ってくれ。魚は8mほどで馬を食えるぐらいのものらしい」。?今聞けば絶対信じないが当時は信じて超デカイスプーン長さ80cmの手打ちものやその他のプラグも用意した。フックもステンレスの巨大なフックを溶接でトレブルをつけて溶接リングで留めて作った。やがてその大物がビデオクルーを従えてやってきた。そこで色々と話を伺いつつルアーの選別を行うわけだが先輩方はファンなのかかなりの緊張である。芥川賞がどういうものかも知らない私にとってこのおじさんについて知りたいことはどれぐらい釣が上手いのか?というあたりだけであった、そんな舞い上がった先輩と共に現場のお話を伺うので徐々に現場の雰囲気が大物主体になるのは時間の問題である。酒も飲んでいないのに粋な表現がいろいろと出てくる。それにトリツカレタ様にうなづきまくる先輩の横で色々現実に向けて何を作るのか?に向けて考えをめぐらせるのが忙しかったがいやおうでも耳に付く言葉があった。私の頭の中では孤高の釣り人的イメージがあったのにちょっと違うのである。なんというか表現が卑猥なのである。例えば大地の裂け目を竿でかき回す。等何かしら含みがあるのである。当時の私の感想はただのスケベなオッサンではないか?だったと思う。そんなことを思いつつも俺も行きたいなと思っていたところにすかさず社長が来てお前も行って来いという話しになったが、大物側から断られてしまった。惜しいと思いつつもまあいいやというところで落ち着いた。打ち合わせも終わり
会食に同行できるようになった。嬉野温泉の聞いた事もない場所に呼ばれて飯である。会社側から呼ばれたのは輸出の係長と海外工場の所長と企画の所長という顔ぶれ。それに私である。大物側は例の本の頃から同行している年齢不詳のカメラマンとディレクターかマネージジャーだったかと思う。ここもまた大物の卑猥な話を端はしに混ぜつつ進行していった。目の前のカメラマン赤褐色の肌 黒目の多い目に力を感じる人だったたしか50代と聞いてびっくりしたそんなふうには見えない若々しさであった。どう見ても30才である。かなりの時間大物と過ごしているらしい。かなりいい感じに飲んでいたが先輩は相変わらず石のように硬く正座にてかのスケベな大物の話を夢ここちで聞いている。やがて時間も遅くなり終了した。とりあえずいわれた物を作り送ってしばらくしてテレビかビデオだか見る事になる。映像とは有る意味真実を伝える。鏡の役目をするんだなと思ってしまった。そこには単なる素人のオッサンが魚釣りする様が写っていたからである。ある意味それが当たり前であり。写真と文章で自分の妄想が先走っていたのみという事だけである。それから月日が流れ大物は死んでしまった。もう卑猥な表現に失笑や閉口することもなくただ彼に続き自分の番を待つのみである。久しぶりにベトナム戦記を読みふと彼を思う
何処に彼自身がもっとも表れていたのだろうか?


チャプター1
チャプター6
こんなやつが釣り師になる。
サラリーマンをやってはいても生活の中心は釣り場にあった。あさ車で目覚めて竿を振り会社に出勤する時間に一時停止して会社が終わると風呂に入ってまた釣り場に泊まるというパターンが定着してきたある日、劇的な事が起こる。夕方浜辺で100m程沖のラインに何か飛沫が上がっているボイルという状況といえばそれにあたるかもしれないが、釣り場にいて岸からそれを見るのは初めてであった。当時メインラインは12ポンドから16ポンドが普通であり当時の竿で硬いものはがまかつか?Ufmあたりでやや硬程度のものがあっただけで飛距離が飛躍的に伸びるルアーも特に無かった。指をくわえてみているだけだったが運良くボイルが岸に近づき魚が釣れた。80センチ弱のシーバスであったがまだ本数が行ってなかったので嬉しかった。釣り場の状況というのは時とともに変化する。天候にも潮にも影響がある。それを思えば当然次の日もそこに行く事になるわけだが問題があった。それは魚との距離である。100m離れたポイントがメインのポイントであるのに岸から釣っていたのでは意味がない。そこでゴムボートを投入してみる事にした。ゴムボートといえば平水での使用に対して使えるアイテムである。当然持ってはいたがまさか海に使うのは初めての経験であった。何事もやってみなければ判らないものである。
後輩と共に会社を定時で終わり。ボートを浜から出す。通常平水ではそれで良いはずだったのだがここは海である、映画キャストアウェイでトムハンクスがリーフから脱出する時波を越えるのに波をかぶってひっくり返ったシーンがある。浅瀬では波が競りあがり大きくなるためである。当日は別に警報や注意報が出ている天気ではなかったが手漕ぎのゴムボートで濡れずに浜から出れるほどではなかった。尻を濡らしながら30m程漕ぐととりあえずは揺れもおさまり沖めへゆっくりと漕いでいった。ミノーはLジャックミノー13センチそれを9ftの竿でゴムボートの上から投げる。読みのとおり数回のヒットがありシーバスがあがった。サイズは70−80センチ平均であるが岸に比べて
魚が強く感じた。そして3日後波の高さを天気でチェックして早朝から漕ぎ出してみる夜明けと共に魚がヒットする都合7本キャッチした。ボートの機動力のおかげといえばそうである。 ゴムボートはある程度は波に強いということも感じた。それ以来出勤前の釣りもボートを使う事も多くなった。尻を濡らさない方法も考え付いた。向かい側の港の階段から出せば深さがあるので波をかぶらないし靴も濡れないのである。人とバッティングして釣りができなかったりする場合や釣り場の拡充においてボートは活躍した。ゴムボートにおける最大の難所は波よりもむしろ取り込みにある。船べりでデカイトレブルフックをつけた魚が暴れるのはかなり恐怖である。そのためネットによる取り込みが主流である。またロッドの長さによっては非常に取り込みしにくく最終的に手でラインを持って上げることになり急に魚が走ってトラブルこともある。
こんなことが以前あったアカメ釣りで松田正弘氏と共に夜の川にボートで漕ぎ出した。ポイントについて橋の方向にキャストしていたら私のルアーが欄干のしたのねっとに引っかかった思いっきりひっぱたらものすごい勢いでルアーが飛んできてボートに当たったというか突き刺さった。・・・・・。「プッシューーーーー」。という音を聞いて松田君が穴を抑え私が急いで漕いで岸に向かって事なきを得た。。それ以前はライジャケの着用が適当であったが
それ以降必ずつけるようになった。風の影響が大きくポジション安定の為にもアンカーは必要である。

チャプター7
こんなやつが釣り師になる
シーバスについてはある程度条件出しができるようになって、自分が思う日に行けば釣れる様になった。しかし何かもやもやとした感じが胸に残るのである。確かに雷魚よりは引くかもしれないがそこまでの事はない南の海のツアーが脚光を浴びつつあったこの時期関心は更に南にあったからである。当時勤めていた会社の関係上日本全国の漁師の話は頻繁に聞くことができた。ある日沖縄の営業担当から沖縄の与那国島ですごく魚がつれるとの話しを聞いたのである。おりしもかの丸橋英三大先生が4号のナイロン糸で36キロあたりのGTを釣って話題を呼んだこともあって急激に遠征熱がルアーシーンに上がったことは良く覚えている。登山用のナップザックいっぱいにルアーを詰め込んでルアー遠征にいったことを思い出す、初めての遠征は与那国島であった。しかし当時南方遠征の釣りにおいて一番の問題点はロッドとリールにおいてそれを出来うるものが無いということであった。かろうじてペンのスピンフィッシャーあたりが使えたがギアーがなめたりというトラブルは常時付きまとった。ロッドは当初イクシークあたりしか対応できうる物が無く尚且つイースタンアクションであるがゆえに結構やわらかいものであった。当初はそれすら知らず適当なシーバスロッドにミノーやメタルジグといった感じのなめたタックルで行った事を思い出す。今は砂漠化が進んでいるが当初は港の中でジグを投げてカスミアジがヒットしたりしていた。メーカーとしての繋がりで漁師さんにパヤオに連れて行ってもらってしこたまシビを釣らせてもらった。さすがにここの魚たちは手ごわさを感じる魚だった、なにせ自分の意思に関わらずドラグが出されるからである。これには正直痺れた。当時丸橋さんが出した記録がいかにすごい記録か?それを身をもって知る事になる。岸からでは30キロはおろか10キロオーバーするのもまず難しいと思えた。まずは自分が使いこなせるであろう
タックルを用意するのが先決と思われた。それ以来ルアーを自前で用意して充実させた。その他来る日もロッドあさりである。リールは常に大型を使う事である程度対応できたしかしロッドだけはメーカーとのつながりが無かったせいでまったくのプアーな状況であった。そんな中にあって当時ツアー会社で働いていた奥山文也氏と知り合い当時開発されていたUFMのトロピカルプロ
を手に入れる。このあたりからこういったロッドの路線は粗方決まっていたように思う。この遠征をやってから勿論シーバス釣りも大きくかわった。魚の事をある程度冷静に見れるようになっていたのである。例えば単魚種崇拝型ではなくなっていたということである。漁具メーカーにいるということも大きく影響していたと思う。魚は常にとることで終焉を迎える世界においておのずと
魚をいかに楽しんでという曖昧な感覚がなくなってきているのも確かであった。趣味としてはじめた釣りも仕事としてやれば釣れる釣らせる事におもきをおく事が必然でありその実績を出す筆頭であるがゆえに魚は常に釣り上げ無ければならないという使命をまっとうしていたのである。シーバスはヒラアジと比べるとタックル的にもう少しライトでも問題は無いと思って大幅にタックル基準を改正した。この時期にはワールドレコード熱も完全に巷に広まってしまいあちこちでそんな活動が聞かれるようになった。今にして思うことだが釣りで有名になりたければ手っ取り早くなる方法はその魚種の最大サイズつまり
記録魚を釣れば簡単である。釣りの上手下手テクニック云々よりやはりメーカーが求めているのはわかり易い実績である事は今日明白である。そんな有名人はごろごろいる。ただ、それぞれに釣りが本当に上手かどうか?は、私を含めてまったくの別問題といえると思う。

チャプター8
こんなやつが釣り師になる
自分でも何か記録を作ってみたかった。だが記録というものはそう簡単に出来はしない。まず記録の魚が釣れる確率とそれをやり続ける事でこおむるリスクを考えていかねばならないということである。記録とは人が出すものであり、力の誇示と同じで誰かからいつかは抜かれる可能性を考えておかねばならない
つまり記録を記録として出す以前に自分が納得しておく必要が有るのである。自分に対してこれ以上はそうそう無いと考えるあたりで出す事を考えてやってみる事にしたのである。IGFAにかんしてはシーバスの項が入っていた。これはひとつのサービス的なパートである。ただこれにしてもある程度の難易度はあると考える。それは最細クラスの2ポンドラインに関してである。まずは小手調べの4ポンドで試してみる。あっという間に記録魚の5キロが釣れたしかしこれでは自分に納得がいかない。これでは10人やって10人が出せる可能性すら感じる。これではつまらないので更に2ポンドに移ってみるこのクラスになるとさすがに記録の記録としての価値を感じられる釣りになった。キャストやファイト等の様々な面で制約を受け難しいと感じる部分が多かったからである。まずドラグを200g−300gに調整しておく必要が有った。それでフッキングをしなくてはならないという事にもなる勿論ファイトもそうであるこれはかなり苦労する事になる。当時、そういった微妙なドラグに関して
条件を満たす商品が無かったからである。ただ1つを除いてそれがトーナメントEx750であった。当時BBアシストのスプール等先進的な技術を取り入れているダイワ精工の最高級モデルである。普段は必要ではないがこの釣りでは絶対に必要なリールであった。月給14万円のうちの3分の1が飛んでいった。ラインシステムも比重差によるガイド掛を考えて2段階にして、ロッドも振れの少ないセージのスティールヘッドモデルを使った。最初の1本目は見事にブレイクした「アブのカーディナル4」だったからである。EXを使って初日はフックアップしないという課題を残して終わった。当時のフックは今の様に多様化して折らずルアーフックといえばイーグルクローVMC、マスタッド、ぐらいなものである。ポイントはノーマルでは必ずフックファイルで研磨しなくてはならなかった。魚がいる所にキャストできてもフックアップしなければ魚は釣れない。この問題は大きくのしかかるそれまでの釣りでも
適当だった事を反省することになる。魚を連れてくるのはロッドでもリールでもなく針なのである。これをクリアーできないかぎり記録は成り立たない。そこで鮎かけ針をタイイングバイスで4本束ねてクリスタルミノーにセットする。当日はボートで出ていた何故なら2ポンドラインでリーダーを使って投げてもフルキャストはトラブルの原因となるからである。システムを完全と考えてファイトする必要からそれ以前にロスをすることは抑えなくてはならないのである。尚当時の2ポンドラインはかなりの粗悪品でマイクロメータで計測するとかなりの凸凹ラインだった。IGFAクラスラインとうたわれてはいたが簡単に言えば2ポンド以下で切れれば良いわけでその限界性能は非常に低かった。案外簡単にフッキング出来た。しかし50m程ラインがでてフックが伸びてしまいアウトしてしまった。テンションは200gの筈だが出ているラインの抵抗その他ルアーボディーによるモーメント増大など考えられることはたくさんあった。要するに知恵が足りなかったのである。フックの懐までいけば何とかあげられるはずであるがフックのパワーが足りないと伸びてしまうということなのである。そうなると何をやるかというと自分で針を変形させるしかない、市販の針からVMCのフックを選びポイントからバーブのしたあたりまでを従来の3分の1の細さに調整したのである。フックの軸の太さをテーパー状に調整する事で刺さり抵抗を少なくして尚且つ根元の力は残しておく
尚先端部のルアーボディーへのアタリがあるので10投を目安にフックを交換もしくは軽く研ぎなおしを行うことにした。  翌朝ボートではヒットしなかった。大抵物事は万全を期すと結果が出にくくなる。魚釣りもなにかと不備があったほうが思いもよらない好結果になる事が多い。ただこの日そう思いかけて別の場所に船をあげてすこし様子を見たそしたら突然ボイルが起こった、すかさずボイルにルアーを投げると一発でヒット。シーバスにして
異例の20分の長きファイトで魚があがった。95センチ7,1キロであった。これを急いで持ち帰り申請した。後に会社から報奨金が支給されてリール代が戻ってきてホットしたことを覚えている。それ以降釣りサンデー
の取材を請けた以外で2ポンドラインの釣りはやっていない。ここで学んだ事はリールの性能が明暗を分けるという事針の重要性、良いリールを使った場合のファイティングにおいてどうする必要が有るか?というあたりである。
とりあえず記録となったわけだが自分なりの難易度レベルを考えると5号のナイロン糸で10キロオーバーのヒラアジを釣る方が難しいだろうと思える。つまり、シーバスはどんな釣り方をしても釣り人側に大幅な不利を
招かない可能性が高い。勿論障害物周りなどではある程度の難易度はあると思うが、どちらかというとファイトよりフックする事に対して楽しみを見い出せる魚という感じになるようだ。故に2ポンドで最大サイズの
記録が出ても別段不思議ではない。その事が新聞に載り雑誌にも掲載されるようになると大したことが無い私でもある程度認められるから
不思議である、ついでに磯からヒラスズキの4ポンド7,0キロという記録も出してみた。たったこの2つで業界内では細糸フェチのような言われ方をした。別にどうでも良いが釣りとは己がレベルアップするためにやっているわけで、その中の1つとしてこの方法があっただけの話しである。どうせなら自分か満足出来うる結果が欲しいと思っているわけで人がどう思おうがどうでも良いことである。与那国にも足しげく通ったやっと16ポンドで18,5キロのGTを磯から上げた。どちらかというとこの方が嬉しかった。ただもう一回同じ事が出来るかというとなかなか難しいそれにそんなにヒットしたりはしない。記録を出すというのはある意味2つの難関がある。1つは魚と出会う事、1つは魚をとる事である。大凡の事であるが1つ目をクリアーできれば後はどうにでもなると思えるところがある。つまり記録を出すためにはその魚を研究できうるほどの環境が必要という意味でのことである。人や魚に個々の違いがあるように人の釣り方にはそれぞれ個性があるそれを均一化してものさしで
測って上下をはっきりさせるということは実に愚かな行為である。若い頃というものはこういったことに対して理解も出来ず盲目とも呼べる上下の差を出そうとがんばるが、趣味という位置づけの中の上下など漁師から見ればお笑い種であろう。 もし 人と差をつけたいならまず全てを捨てて釣りを生業として
立つことが先決であろう。それで食えてから話しはそこからスタートさせるべきである。魚を釣って雑誌に書くことをやり始めて周りの同業の反応は様々であった。お互いを認め合える人やお前のところは魚がいるから釣れて当たり前だ俺は居ないところで釣っているから・・・。という聞いていて「あんたそんなこといって恥ずかしくないの」。といいたくなるような有名人先輩も居た。
別にうちの隣に引っ越してきても良いですよ釣りのために出来るならねと切り返しして真っ赤になって怒る先輩釣師の顔は今でも忘れない。最近はそういったことはジギング船で良く聞くようになる。総論で述べているように
ジギング船の釣果には公正さは無い。だが人によっては断りも無く一日私と勝負したような気持ちになっているひとが居る。ある日のことGLの佐野君に「お前最近誰かと勝負して負けた?」。そんな話しをされたことがあった。
まさに豆鉄砲でも食らった感じである。誰と勝負したのか突き止めれば、某有名ショップの看板ジガーのおっさんであった。私はいつの間にか勝負を挑まれていたらしい。そのことを佐藤さんに言ったら「俺も同じこといわれているらしい」といわれ大爆笑した.趣味において確かにプロというものは存在する。将棋等がそれにあたると思うが、釣は魚を釣る事としてくくった場合。既にプロは多数いるそう、漁師である。トーナメントプロで魚を釣って1000万稼ぐ人間はいないがそれ以前に数千万稼ぐ釣り人が居るということを忘れてはいけない。そんな中において、自分のランク決めに力を使うのは何かおかしい
釣り人数万人中1番2番を争うならいざ知らず既に負け組みの中にいて順番などつけるのは無意味でありかえって惨めな気持ちになる。それなら釣り場において自分に対してベストを尽くす方がまだすっきりする。

チャプター9
こんなやつが釣り師になる
漁具メーカーの研究開発室という場所にいれば、釣の情報は恐ろしく
広範囲である。輸出もやっていたわけだから、ヨーロッパからメキシコまでいろんな話しが手元に届くのである。25年前既に200gのメタルジグがあった。今でこそ200gのジグは普通であるが当時は250gのプラグや
ジグ等あっても使うタックルが無いのが現状であった。30センチのジョイントミノーや350gのバイブレーション等いったいこれで何つるんだよって思ってしまうのは釣り人としての常識がそうさせていたといえるだろう。
ただそんな凶悪そうなルアーが輸出先からボロボロになってかえって来るのは驚きである。何重にも溶接して硬質のウレタンで充填している人殴って殺せるほどのルアーをジョイントルアーにしたり電動鋸で切り取ったように加工できる魚っていったい何なのか?、国内でもそんなクレームが来た事もあるが
せいぜい18センチのミノーが水圧で見事に三日月の形になって戻ってくる程度である。最近極海で450キロのイカが釣り上げられたらしい。450キロというとカジキなら記録サイズであるこんなイカが海水浴場に出てきたらいったいどうなるのだろうか?考えただけでソラオソロシイ我々レジャーの釣りは有る意味趣の釣りである何故そう思うか?それはリールを使用するからである、。200キロの直線強力のある紐でハリス100号180号で魚を手で釣るという行為をプロの世界とするなら。何十キロMAXの破断がタックルに有ってもいずれも糸巻き器を使っている我々は魚によって死をもたらされる事は無いからである因みに40−50`以下の魚なら手によれば結構簡単に釣る事ができる。まあ一寸でも出したら駄目な魚は別だが最初の一のしさえ耐えられれば後は手で手繰るだけという感じである。それはそうであるテンションは20キロ程は軽くかけられるわけでそんな力でひかれれば魚もあがる筈である。ただ。サイズがあがってそれを超えたパワーを魚が持っていた場合大変危険
な作業となるのである。そんな現実から我々が呼ぶルアーと彼らが使う漁具レベルのルアーには実際求められる耐久度が違う のである「このルアー1個で総量1500キロ釣れたけど、これぐらいじゃ弱いんだよ」。メキシコ辺りの漁師から来たセリフだったと思う
1500キロはおろか20キロでも記念になるかお蔵入りの我々にしてかなりシビアな漁師の世界である。魚を`幾らで売っていたら1個15ドルかそこいらのルアーが高いという事になるのだろうか?大抵この大きさのバイブレーションで釣れるのは巨大サワラかバラクーダ、もしくはマグロあたりが通常だが
実のところ280mmのバイブレーションに関して、自分で使って魚が釣れたためしが無い。何故かというとトローリングする時に50ポンドかそこいらのタックルでは泳がすために船で引っ張っただけでドラグズルズルと出てしまい使えなかったからである。日本国中イカブームが巻き起こって5年が経過しているが漁具メーカーとしてはイカ針関連商品は必須となっており普通に色々な物を20年当時作っていたように思う。当時イカ針といえば剣先イカ用の
オッパイ針やイカズノ辺りが種でアオリ用の製品はどちらかというとボチボチといった感があった。何故なら漁で使うイカ針の数が一本の仕掛けで300−400本ついていることもありこいつが一隻10本以上ついていたりするのが通常でプチブレイクでもしたら恐ろしい数が出るわけでエギなんかやってる場合ではないという空気であるカナトフグ等が大発生した時はこの数百本単位のしかけをプツプツと切ってくれてまさに神様フグ様状態である。当時タルイカの漁が走りで巨大なイカ針製作で携わった、近海の深い場所には生息している
20キロ前後のイカで綿入りの30センチ位の巨大なスッテを毎晩残業で作っていた記憶がある。天秤の役目をするように作られた通常横倒し状態のフロート付きの旗の一方に糸を結び魚がかかるとウルトラクイズの?マークのように水面に旗が立つような仕掛けである。この仕掛けマグロ釣りでも良く見かける
漁師の仕掛けというのは大掛かりで仰々しくまた粗いのが通常だがレジャーの我々が効率を考えずに作った仕掛けが最新といえるか?といえばそうではない。その人が何を求めているかによってその内容には変化するのは至極当然である。ただ近年漁獲がさがり細かい釣り物にシフトしつつありまたレジャーの釣りもより漁師化している部分もあり双方近づいている部分も見受けられる。そんな中にいるとレジャー釣り師として自分の居場所に対して悩む事も多々あった。これも釣りそれも釣りだからである。私は会社でルアーの最終チェックをする役目があったので、遊泳層でルアーを泳がすのだが5センチのミノーから30センチのミノーまで毎日毎日アイのチェックを行っていたがその大きさの違いもさることながらその引き抵抗と用途において既に一般とは一寸違う感覚を持たざるを得ない状況に立っているのは確かだった。遊泳チェックというのは事前性能チェックなわけだが1ノットはおよそ秒速0.5m通常7ノット前後は必要なので秒速3.5mで引っ張ると大凡現実のスピートになるのだがはっきりいってそんなスピードで引くのは結構しんどいそれにほんの2−3m引いた程度でそれが良いか悪いか判る筈もないのが現状である。それでもある程度直して出荷するのだが笑えるほど仰々しいルアーの現地での結末はどうなのか?それが現場でどうなっているのかそれも非常に気になるところであった。作りはしても使うのは現地の漁師という、ルアーメーカとは言いつつも一般向けに使えるものを作り商品に対して知識豊富に訴えかけることができるメーカーと違って、あまりに浮世離れしているために行く末すらわからないのメーカーというのはかなりのギャップがあると思う。最近はそんな遊泳チェックばかりしていた私から見て泳がないルアーが多くなったと思う。はっきりいって作りかけの失敗作のような泳ぎのルアーが最もな理由をつけられて売られている。これがどうも気に入らない。泳がないルアーをわざわざ金出して買うぐらいなら、使わないルアーを泳がなくして使ってもOKではないのか?そう思うのである。1つ1つ泳ぎをチェックして苦労して泳がせて自信を持って送り出していたルアー達が突然泳がなくて泳がさなくて良いということになる事に非常に抵抗があるし。それじゃあ何にでも適当に理由付けとけば売っていいわけ?と思ってしまうのである。確かに現地でそういったルアーチューンを施す事は必要に応じてよいと思うがパッケージから出してしょっぱなからこの動きは無いだろうというルアーが最近非常に多くなっている。ではどんなルアーがオッサンは好きなのか?そういわれれば渓流でいえばスピナーの様に真っ直ぐ泳いでくる物。商品でいえばブラウニー青島バージョンやK-tenやアイルマグネット等である。自分が作ったルアーも人に言えたものではないと思うが幾らなんでもミノーでありながらフアフアと左右に振れてみたりまったく泳がなかったりするのはなにか損した感が非常にあるのである。価値観の違いといえばそれまでだがそれでも釣れてしまうそれでしか釣れない状況から来る事とは思いつつ趣味としては受け入れられない部分があると思う。
チャプター10
こんなやつが釣り師になる
ルアーメーカーに就職して2−3年も経つとはっきり言ってだいぶ飽きて来た。天職じゃーと思っても同じ事をズーットやれば当然飽きてくるものである。今となっては飽きるから新しい事を発見するのだろうと思っているが。最初は興味の有る事でも女性同様裏が見えれば魅力も半減するってものである。
自分自身にして物事を継続させることは結構苦痛だと思う。継続は力なり確かにそうであるが。最初に舵をとった自分自身のプライドの問題もあって継続せざるを得ない気持になっていた感がある。自分は魚釣りに関することで仕事が出来る様になりたい。そう思っていたが先にも言ったように裏が見えると
見た目の素晴らしさとは裏腹の部分が心に重圧をかけるようになるのである。今思えば贅沢である。自分の思うとおり生きる事など所詮無理である。自分の価値観を他人に押し付けて我慢や理解を得てもそれは結果的に幸せいい人生と呼べるのだろうか?理屈はわかっていても実際にはそうはいかない。ただ面白くない事に変わりはなかった。どういったところが面白くないか?やはり人に賃金をもらって人の思惑の中で生きる事がというあたりなのだろうと思う。B級ルアー列伝という本を知っているだろうか?人が作ったルアー達にいちゃもんつけて儲けてる有名な本であるが。あの中には私が担当したルアーが結構入っている。正確には訳の判らない釣りも良くわからないおっさんたちに
リクエストされた商品で有る訳だがやれ鰭をつけろだの光るようにとか匂いが出るようにとかやたらベタな要求の集大成があのルアー達なのである。こう見えても魚は釣って何ぼの釣り人である。私が子供に夢を与えるルアーなぞ作れるわけが無い。魚が釣れないルアーなどルアーではないと思っていたからある。今やジョイントのリアルベイトが当たり前に店頭に並んでいるが23年前トリプルジョイントなどフィッシングショーで泳がせば「夜店で売ってる蛇の玩具じゃないんだから」。等と客から説教を食らうのが関の山であった。まあ今から思えばそれがそこの会社らしさということなのかもしれない。3年も働くとそのあたりが非常ーに苦痛になった。私の頭はいたって簡単で釣り道具(漁具)として釣具をみるのだがそういう品物より楽しさを目指した趣味的商品を目指していたからである。まあ今思えばそういう路線も悪くない筈であるが
当時の自分には受け入れがたい部分があったのである。ところが4年目になって方針が若干変わって真面目なもの作っていいということになった。!!!!やったーと喜んでいざ作って見た。スイングミノーやホットジョーカーシリーズである。内職叔母さんにせっせと鱗貼ってもらって作った。今日日いくつ売ればルアーの採算が取れるのか?と思うだろう?通常ルアー金型の価格はキャビティあたり80万円前後はする。最近は中国があるのでもっと安いと思うが型の寿命は使う金属によるが55Cなら1万個ぐらいSKなら5万個ぐらいしかもたない。そうするとルアーの価格に1個約100円ぐらいは乗ってくる。
通常輸出のルアーの価格は300円以下の場合が殆どなのでそのあたりが原価とすれば結構な金額である。それが型の寿命分売れればいい感じということになるがなかなか難しいのが現状である。そういう意味合いがあって会社的にも路線変更が有ったのだろう。この頃から遠征もちょくちょく行き始めてそこに必要なルアー達を適当な企画書を書いてOKをもらっては現場に流してつくるという幸せの時であった。ただ、ものを作るというのは基本的には自分の主観で作るわけで時間の経過と共に改良点が出てくるものである。尚且つ自分以外の一手を介すと微妙な違和感が出てくるわけでなかなか折り合いが付かないまた付いても後日些細な事で問題が出た場合のマイナーチェンジも出来ない
のである。企業として商品に非があっても多くの会社が次の商品にのみそれを反映する傾向は今に始まった事ではなかったそういったことが色々作るうえのちょっとした問題点でありそうしたことでいろいろ問題はあったと思う。

チャプター11
生きるため?人間として?
60万人のニートは現在も増え続けている。
ゆとり教育というものがニートを増やした原因と言われているがある意味そうかもしれない。「やれなくても良いんだよ大丈夫、自分ができる事で良い人と自分は違うんだから」。ある意味救いのあるいいことだと思うがそんな優しい育てかたされればキットいい人間になるだろう。しかし社会はどうだろうか?ゆとり社会でないことだけは確かである。小中高とそんなことから切り離された彼らが社会に出て見るものはさぞ醜いものに違いないのである。ニートになるのもうなずけるってもんである。私の若い頃というのは既に自分が汚れていたと思う。人まねからスタートし、おまけにそれをオリジナルとして
作って売ったりすることもあったからである。会社に居ると当然そういったことは日常茶飯事である。自分が掲げる理想の自分と現実の自分とのギャップは大きい事を先ず知る事になる。例えば自分は釣り業界で働いて何か足跡を残せると思って実際に入ったとする。しかし自分でアイデアを出せねば人のアイデアを参考に何かをするしかない。もしくはそのマンマコピーという事にもなる。そうなると確かにお金は儲かるが、自分が思う事とは大きく違ってくるのである。人の釣った魚で記念撮影した時のような後味の悪さである。仕事にはそういった汚さがつきものと思うのはなかなか難しいものである。
給料は高くても人に言えない仕事していたのでは、業界に入っている意味が無い。今でこそある程度認められているが私が24年前釣具メーカーに入るといったときの親の反応ときたら縁切りするとまで言われたくらい、親戚中からも反対を受けた。「釣り道具売る会社なんて」。と陰口も散々いわれたそれを思えば自分がやっている事で内心悩むのはあたりまえである。その他大勢の人間はここで共通の価値観即ち幾ら金を儲けたか?という帳尻あわせに逃げる場合が多い。そんな事で逃げられるほど要領は良くない。でも明日に理想で飯が食えるのか?この問題も難しいところである。釣が好きであればあるほどこの問題は大きくのしかかってくる。自分を表現する一つの形である釣り業界が
自分の行動でつまらないものに感じることも多々あった。ただつまらないからすぐ辞めるというのもやはり違う気がしていた。政治と同じで流れを変えるのはなかなか難しいある意味辛抱して初めて変えられるものもあるはずである。その間に自分が変えられなければの話であるが結局は辛抱できず7年勤めた会社を辞めて自分探しをする事になる。自分探しといえば格好は良いが結局は自分が何が出来ないか?を探す事なのである。オーストラリアから帰ってまだ燻っていた。自分すら見えないのに所帯持ちだった事もあったと思う。それも
当時当然のように空中分解することになる。またもや1人沖縄に暫く行ったりいろいろと考える事になる。しかしそんな事で自分をごまかさずとも既に答えは決まっていたのである。自分が自分の責任で物を作ればいい自分はクリエイターとして何かしたくてこの業界に入っている訳で。お金儲けが目的ではないそうであるならやる事は一つ作る事だけである。自分の釣りを見つめてタックルを作っていこうと決めた。そのうちビデオの話が持ち上がりルアー作りの傍らビデオやテレビ雑誌などの仕事を受けていくようになるのである。既にこの頃から現在に至るまで釣りのスタイルは変わっていない。人によっては一年から3年ごとに開眼してまったく違う事をいう人もいるが私は既に20年以上前に完成している状態である。これから体力的に下り坂になればその為に何かを変えざるをえない事もあるかと思うが基本は変わる事はないと公言できると思う。

チャプター12
善か悪か?
自分や他人の釣りにおいてゴチャゴチャと言われることがあると思う。私も正面切って言われた事は無いが影でこそこそはいろいろ言われているようである。つり師で自分を表現するのに人に文句つけなきゃ居られないようなら他に自分の居場所探した方が良い。まあ自分の話はさておきルアー業界にもいろいろな大きな流れがあったキャッチアンドリリースもその大きな流れの一つである。ただそれを大きく言う人間に限って自分のエゴである事を隠す人が多い。世間を知らないうちは賛同していたが、どうもやってみると辻褄が合わない部分が出てくる。魚が可愛そう、命は大事と思う人が魚を釣り針で引っ掛ける必要があるのだろうか?私が言いたいのは釣り人が世間一般常識で考えて善か悪かでいくなら絶対的に悪であるという事である。食べもせずにただかれらの組織や日常を壊してまたそこに返せばそこで贖罪されていると思う事自体おかしいといえるかれらに心があったらかなりのトラウマになる体験に違いない。ところがであるそんなことは棚に上げて釣った魚のあつかいがいい悪いがもっぱらその話題にのぼるのが他人にも波及するのが面白いのである。まるで盗人の仲間割れ状態である。基本的に生きてる魚を引っ掛けて遊ぶのが楽しいからやっているわけでハリに引っかかってもがいて酸欠になったところを手に握るのが楽しいのである。こういったことを行っている自分を切らずに人を切る事が多いのが現状である。アングリングという雑誌をご存知だろうか?この雑誌は一時期そういった方面の事で先輩方がリリースという言葉を業界に浸透させた本であるがこの雑誌で、編集後記でクリスマス島でパンティんグボートに魚をいっぱい積んで殺戮したとの話を掲載された事があった。名前は出なかったが
私らしい当時の編集長と話をしたが当の本人の話より別のダイバーの話を信じるいわば根本的な敵な関係だったが実際はどうかというとボートの上に魚を並べて殺戮したことはない、ただ、魚の扱いは確かに悪いのかもしれない。魚自体いらない魚釣りにいみがあるか考えてしまう私にとって魚は捨てこそしてもリリースという意味合いには程遠いと考えているからに他ならない。釣ってペンチでボリボリ針外して海に投げるこの行為を残虐というなら釣り師は全て残虐といえる。そのことが有ってからリリースについて明日の為に逃がすなどという茶番ともいえる記事は書かない事にした。タグについても同様である。見方によっては逃がした魚にも自分の所有欲を波及させたようなプログラムでもあるこのタグシステム、これにおいてもかなり疑問を持たざるをえない。確かに聞くだけではかなりいい話であるがまず日本国内において自然保護と漁業資源の確保の順位は当然後者のほうが大きい。実際世界1とも言われる。技術力で世界から魚がなくなっている。我々が一匹2匹保護する事でできる事より
世界の漁業従事者に違う仕事を斡旋する方がよほど魚の保護に繋がるってもんである。1日に10万本のブリがとられることもザラにある。それが一つの会社の話である。国内に少なくとも数百はまき網会社があるだろう。この現実を知らずして何を魚について語れるだろうか?話は戻るがタグシステム自体スムーズに動いているか疑問が持たれる。例えばである。ポリプロピレンの
矢のようなモリを自分の皮下に打ったとする。多分服を着たり色々する度に外にでている部分に当たって傷が直りにくい筈である。人間の体に及ばす生き物の組織には自分の物ではないものを外に押し出そうとする働きがある。アンカーした部分はやがて化膿して周囲の肉ごと外に落ちる可能性がある。ばい菌の水溶液の中を泳いでいるようなシーバス等それが元で死ぬ可能性もあると考えられないだろうか?別に私はタグに反対ではない打ちたきゃなんでも打ってすっきりすりゃ良い。ただその根源における効果を何処で測るのか?という事である。
釣り場のゴミ拾いだってそうであるこの行為に悪は無いただ遠くの海を綺麗にするために化石燃料をふんだんに使用してまで自分が行かねばならない事があるのか?というあたりである。CO削減が叫ばれる地球環境における世界規模で行うメジャーでみればそれも善とはいえない。今後キーパー無しの釣り散らかしタイプの釣り人としての立場はかなり危ういものがあるといわざるをえない。タックルについてもそういったことが言及されやすい根本における自己の悪を差し置いてこれで魚があがると可愛そうなどど辻褄が合わないことを言ってしまえば自分で自分の首を絞める結果になる。この場で公言するが私は悪であるし。それゆえ魚釣りはやめられない。ただ悪なりに自分で決めたことは
釣れた魚はなるだけ持って帰るという方向で釣を行う事である。仕事上食えない魚も釣る事があるがそれを主とした活動は控えている。要するに満遍なく行う事でそれをぼかすわけである。ただ、そうしているからといっ黒が白になるわけではない。

チャプター13
プロの条件
ワールドレコードをとったあたりから釣りのプロとしての方向に歩く事を目指しはじめた。プロとは専門家職業としてそれを行う人と辞書には載っている。つりのプロとは何なのか?コマーシャルフィッシャーマンもプロにあたるがレジャーの釣ではプロとは何なのか?釣り番組で専門的なつりを行う人が粗それにあたる。と当時は思って先ずはそれをまねするところからスタートする。現在では大間違いだが当時では粗間違いはないと思われた。だが喋くりながら釣りをする以外でいったい何が必要なのだろうか?そう経済的な問題と専門分野としての知識や技術の確立である。当然だが直接的にレジャーである釣りで金を稼ぐ方法は殆ど皆無に等しい。バストーナメントや優勝賞金数百万円の釣り選手権あたりが関の山である。現在プロと名の付く釣り人の多くが実質自分の技術で魚を釣る事において生業と出来ているわけではない。つまりエセプロなのである。いろいろな人や会社の思惑の上でそう呼ばれる方が都合の良いのが本音といえるだろう。専属プロとは聞こえがいいが内面はとても厳しい状況といえるだろう。ただ昔からの有名釣り人には筋金入りという人も多い。というかそういう人しか残らなかったというのが正論といえるかもある磯釣りの有名な釣り人と飯を共にする機会があったが1年間で家に帰る日は10日無いとの話であった。で何やってるかというと講演会や販促活動のお世話や釣りという話である。恐ろしい話である。確かにプロというべき、いや釣り極道とも言うべき存在である事は間違い無いがそこまでどっぷりなのかと呆れてしまった。現在では一口にプロといっても釣りの技的に、プロなのか?釣りの結果的にプロなのか?エンターテイメントとしてのプロなのか?
商業的な面におけるプロなのか?実に様々な方向に及んでいる。。で自分が目指すのは当然古のプロフェッショナルに相違ない。ただ私自身ルアー釣りという方面においてそう呼ばれたいと考えている。ただその資格が私に有ると思える人がいればという条件付であるが。
釣を上手になるというのはそういった方面に行くために必要な条件となるが最近では肩書きだけなら自分やメーカーやその他団体が認めてくれれば簡単にプロと呼ばれる。で実際に釣りを他人が見ると首をかしげる結果になる。ただ見る目にもよるとは思うのだが。プロ個人個人を他人の尺度で判断しても結局は個人の主観によるもので有ることは間違いない。そんな人の意見より自分がいかなるものになるのかなりたいのか?その事の方が有る意味大事かも知れない。釣における状報の吸収方法として私が気をつけているのは主観か客観か?である。釣り雑誌を読んでいると色々なことがかかれているがこれがこの人の見解なのか現実なのか?という辺りで考えなければならないところがでてくる。
例えばロッドの穂先の食い込みにおける考察である。ロッドが柔らかくないと魚が弾いてしまう。というのは釣り人の主観であり。客観ではないケースが多い。つまり何をおいてこの結果にいったという考察がまったく無い。自分が感じたことをただ述べているだけのことである。それによって同じような事で悩む人はこの人が提唱するタックルシステムを横並びで購入して完結する。私も釣が好きであり今のように自分のシステムが出来上がる前は沢山の方々が提唱するメソッドやシステム論を試すこともしばしばあった。ただ違うのはそれを鵜呑み(鵜呑みではなく賛同の人には失礼)
にはしていない点である。自分の釣りはあくまで自分の釣りである。そこを元に持ちつつも自分が出来る事で問題をいかに解決するかというのが自分流である。その為には自分ができる事を増やす必要がでてくる。勿論タックルに逃げる程度で解決できることもあれば根本的に肉体改造が必要な事も(最近はとんとサボってばかり)ある。こんなことをやっている事を察するに相当な回数釣りに行っていると思われがちだが実は私はあんまり行かない。確かに釣り場に答えは有るケースが多いが自分が導き出すべき答えが必ずしも釣り場に有るわけではない。有名釣師の中にはある種の病気のように毎日釣り場に行く人も少なくは無いが、考察の無い釣に発展は先ず無い。それは単なる趣味の枠でしかないと思っている。釣とはトライアンドエラーによる修練と経験の引き出しの増加と応用で上手になるものであるが。有る程度以上になれば必ず個人の資質による壁が露見してくる。つまり釣が好きでも誰もが上手になるとは限らないという部分である。これは当たり前の事であるサッカーや野球に置き換えれば尚更それは厳しい現実になる筈である。それをじたばたしてもしょうがないただ常に精進したいと思うのは自由である。一人で釣りに行くのもいいが。
客観的な意見を言ってもらえる相手を探すことも悪くは無い釣の上手下手というのは自分では良くわからない事が多い。それをもし受け入れる事が出来るののなら人に聞くかビデオで自分を撮って見るのも悪くは無い。具体的に私がこの人は上手いなと思うような釣り人の動作を述べると先ずはポイントに対する歩き方 今から行く釣り場に対してどういう風に行くかは魚をどう思っているのか?に繋がる。タックルの準備システムの時間。ルアーに限らず餌が水に浸かっていて初めて魚が釣れる訳でシステムの製作やタックル準備が遅ければそれだけロスが多い。ラインブレイク後の釣り場復帰が2分程度ならいい感じである。リールのまき方右左の手の動きが基本的に別である事。キャスティングに無駄が無いこと。ロッドの振る方向とルアーの軌跡が同じ。魚が掛かった時のロッドリールの動作、ランディングの計画性。等など挙げればきりが無いが
では自分自身はどんなところが悪いと思ってのか?というと既にオッサンになっているので思うように動かない体と薄れやすい集中力それと時折魚に気合負けしてハリが外れたりすること。また、忍耐強い釣が出来ないこと。喋り下手 呼吸がマイクに入りやすい。等きりが無い。俗に言う田舎者の釣オタクである。バスの世界にもシーバスにもジギングにもプロに限らずゴロゴロいる。
まあ自分であるが故に出来ない事でも有ると思う。プロになる動機それを目指す動機は様々であるが一様に人の真似をしていてはただこの人の系列と呼ばれてしまう。だからこそ人の法則など程々で自分のやりたい方向で釣りを展開する必要が有る。ただそれは魚釣に対して答えが出る方向で行う必要が有るのでそれがまた難しい点だと思う。プロとは人の言う事聞きたくない意固地な頑固者の集まりといえるかもしれない。

チャプター14
魚との出会い。ヒラスズキ編
ヒラスズキという魚私的には 雷魚 ヤマメ バス シーバス ヒラアジに次ぐ順番に出合ったターゲットである。今は情報化が進んでいるのでメバルからカジキに行ってもそんなに違和感が無いが当時の私にしたらシーバスまでの釣りとヒラアジを知ってしまってからの釣りは大きく変わった。ヒラアジのひきはそれほど強かったというのがホントのところだ。それまでの魚が一時希薄に見えていた。若い頃は特に思考が単一なのでそうなりやすいが当時はまさに絵に描いたような魚の技術的な面から見たランクというのがあったと思う。そんな中でのヒラスズキ釣りというスタートだった。最初は同僚が出張先で魚釣りして持って帰ってきたヒラスズキを見て。対馬に行ったところから始まる。色々とあったがベタ凪につつ崎に行って何も無かったことを覚えている。次に壱岐に行ってみた。それが初めての魚との出会いとなったと思う。当時8ポンドラインを巻いてヒラスズキを釣りに行って牧崎で80センチクラスを釣った。その後何回か壱岐に行くことになる。先にも述べたとおり魚のファイトに応じてタックルは有るべきなどという訳のわからない事を妄信していたため最終的に4ポンドラインで磯から魚釣りを行うという事をやった。その頃ミノーの開発が結構進みスイングミノーというミノーを作ったこともあり釣り自体は結構楽につる事が可能だった。この頃のヒラスズキはピンピンに細く研ぎこんだフックを湯水のように使ってUFMを初めとするオーソドックスなロッドにペンリールという組み合わせで魚を釣っていた。標準のラインは12ポンドというところだ。リーダーは8号から12号だった。ヒラスズキの面白さは現場の緊迫した空気を感じつつ魚を釣るあたりで有る。ヤマメつりにも同じような感じが有るがどちらかといえば渓流の方が平和な感じがする。(実際はどっちも危険だが)こういった場所においてやはり求めるものは飛距離という事があったと思う。何回も行っていると当然現場に対するニーズというものが
沸き起こる。アルミジグや今で言うミノージグなどの飛距離を重視した品物である。当然だがルアーには有効範囲というものが存在する。つまり2m以内にいる食い気の有る物はOK、5mも時々OKだが15mなら反応無しというか見つけられないわけで、もし魚を釣りたかったら当然泳ぎより先に魚の側に
ルアーが有ることが条件となる。そうするとそういった物が数を伸ばすのに役に立つわけである。だが時間が経つとルアーなら何でも釣れていた感じがしていた魚が偏食しているような感じを受け始める。そうなるとあくまでミノープラグでとかより遠くの80mラインを正確に等という条件が出てくるのである。そうなるとロッドやリール特にロッドがネックになってくるという辺りで津留崎スタイルへのシフトが始まるのである。初めての硬い竿は当時では珍しいUFMの固めの10ftだったと思う。それからダイコープレミヤやガマカツ等が微妙だったが硬かったように思う。以前の磯竿に毛が生えたような竿よりはましだッた。まあ現在でも似たり寄ったりのラインナップがあっちこっちで販売されているので。多分私のほうが突然変異なのだろう。基本が魚をとる事に有ったので有る意味自分のポテンシャルには必然ともいうべきシフトだったと思う。そのうち磯のルアーゲームというビデオの仕事が来て当時契約していたザウルスからブルーランナー11ftといういい感じのロッドが出来た。ブラックフィンというロッドが有ったが実のところヒラスズキはブルーランナーが主役だった。その頃からテスター契約をするようになり仕事で釣りをするということもあって既にライトタックルの釣りは行わず。漁獲のみに絞ったタックルでの釣に傾倒していった。人にはそれぞれ思惑が有るが魚釣りという行為は魚を釣る事に最終目的が有る。それを素直に形にしていった。仕事ということもあってネタ的に場所を探す必要が出てくる。いろいろな場所を案内されたり聞いたりするのだが。こういった事は自分で思ったようにやる事に楽しみが有る。そういうわけであっちこっちに調査で行くのである。壱岐で三島方面を開拓し、的山大島等は今だ思い出深い。ヒラスズキは大きくなるのに時間を要する90センチになるのに恐らく10年近い魚もいるはずである。しかし沿岸に付く習性のある魚はごく一部と考えられ90センチオーバーのヒラはなかなか出会えないのが現状である。そうなると開拓であまり人の入らない場所ほど大物が居る可能性ということを考えざるを得ない。実際、90センチオーバーのヒラスズキは数多い漁獲の中でも10本そこいらでやはり開拓での
釣果が最も多い。私の場合別にサイズを狙って釣るというよりゲームとしての完結を優先する傾向からセンチという言葉に対する執着が無いのでデータとして測った魚がそれ位だったと考えていただきたい最初の頃の失敗はやはりファイトの粗忽さが目立っていたあたり、今でもどうでも良い釣りはよりそうなる傾向が強いが。若い頃は今に比べて更に強引だった。ヒラスズキの失敗で最も多いのがはやり強引なファイトだったと思う。今でもゴリ巻きしてるとよく言われるが、実はゴリ巻きにはレベルが有る。今の私のレベルは10段階でLV7位昔はLV2位だった。よく考えていないゴリ巻きははやり魚がばれるのである。テンションであったりリストの加減などである。またフック箇所の見極めなどがそうである。これは別にヒラに限らずそうである。しかしヒラスズキの場合物が大きいだけに特に悔しい。魚のバレは泳がせても泳がさなくても不足が有れば必ず発生するものである。ヒラスズキは極端に強い魚ではない。それ故に釣り人側の微妙な加減が必要になるので有る。それと荒磯での魚のランディングこれが常に計算道理であればゲームは完成しているといえるだろう。ただ、いまだ完璧には程遠く不測の事態に慌ててしまう辺りが続ける理由である。ただ磯の景観は変わらないので彼方此方と放浪して目新しいポイントで試す事が必要になる。

チャプター15
デザインとは?
色々なプロと魚を釣る事になるそこで色々な話をお互いするのだが???なプロもいる。 これ俺が作ったんだよ」という言葉である。 釣におけるプロデザインとはよく言う広告媒体としての役目を果たす人たちの 手によるものという販売の一つの付加価値としてあるものであるが。 そうでないケースは実際にその人自身が必要に応じて物を作り足してゆく場合 である。世に多く溢れている商品の多くは確かに一様に必要に応じて作られたものである。 だがその目的は根本的には商売を目的とした作られ方をしているといわざるをえない。 つまり釣りの道具の名目で金儲けが出来る物という形である。 その中に一寸したカモフラージュ的にプロのデザインが存在する。 メーカーによっては人を使わずとも表にでずに流行に応じて商品を 収益目当てに売る為に適当にぼかして売っている場合も多いのが現状である。 そもそもメーカーとは何か?ブランドとは?と考えさせられる状況が多々ある。 一つのポリシーである。そうあるが故にファンがいる訳なのだが結果感心事は 幾ら売れたか?というあたりに決着してしまう。チャプ12と被ってしまうので簡単に済ますが 少なくとも商品とは売り手のポリシーやコンセプトが伝わる必要が有ると思うが 運の良いデザイナーはそんなに居ない。「これは俺が作った」。というプロも多い しかし実際は大したことは何一つしてはいない場合が多い。文句や素材や物理的 理屈を無視した注文を並べ立て開発に作らせているだけというケースもかなり多いのが現状である。 つまり作っているのは開発のクリエーターがプロの意見を反映して作っているに過ぎず もしくは社内の企画者が考案した物を製造して適当なプロにくっつけるというあたり。実際は 表でそれを作ったという人間が針一つ付けることも無く出荷されているのが現状である。 それなのにメーカーの裏書と来たらなんというかコッパズカシイ限りの美辞麗句を 掲げ宇宙にでも行けそうな機能かと思わせる説明である。 それを2チャンネル辺りでは熱く語り合われているわけだが もう一回この場で言うが 「日本の釣具はオバチャンがつくっとるったい」。 別にオバちゃんのポテンシャルが低いというわけではない。ただ 空飛んだり宇宙に行くほどの事は無い訳で物自体のコンセプトにもかなり揺らぎが有るという事を 判っておく必要が有るということである。ではデザインは必要ではないのか?というと 勿論必要である。商品とは何気ない欲求から生まれる事もあり。難しいと思われていても 案外出来たりと色々あるが、決め付けで新しいものが出来るわけでもなく。 それを難しくても矢面に立ってもやり遂げるから新しい風がおきたりもするのである。 つり師でもある自分の場合。やはり必要に応じた物としてもの作りに取り組むわけで あるが興味の無い部分には滅法弱くなるのが玉に瑕である。何に興味が無いか 例えばワームである。これだけは多分一生作って売る事が無いだろうと思っている。 作った事は山ほど有るし某メーカーの開発の頃はアメリカまで成形機を買い付けに 行くぐらいである。洒落でブロディもどきのツルディを作って見たりもしたが 売るつもりはサラサラ無いそんなもんで釣るぐらいなら餌使うという感じになるからである。 で話は戻るが少なくとも先発発案者は必要に駆られてものを作る事が多いしまたそうしたことを 後に普通と言えるまでその人間は他の常識から変人扱いされるのは間違いない。逆に言えばその人が やっている事と同じ事をやる他人が増えればそれは普通という事になる。 それでも自分がこれを作ったという表現はプロは使うべきではない。 自分が本当に携わらない限り監修した。とかアイデアを出した辺りで留めるべきである。 見本市でそういう人に聞いてみれば良いこの商品のどのパーツが 何グラムでしたか?などと聞けばかなり焦るはずである。下手すれば 素材名すら答えられないプロもいるはずである。 メーカーの企画開発とは実はそんな嫌な仕事も多い。まるで教授の学会発表の 為に論文を書く助教授や研究員の様なものである。それが嫌になると そこを辞めて外に出てしまうが基本的にデベソで変人な為かなりのポテンシャルが 無いとまたもや何処か他の会社でお抱えされてしまう。デザイナーとは聞こえは良いが ある意味他人のフンドシが無いと寂しい事も多いのが現実である。
チャプター16
笑い話失敗談
いろいろ釣りやっているといろんな失敗がある。
1、いい大人も時々やるけど良くある空振りでティップが飛んでゆく事
ロッドの調子等ろくに判らないのに空振りして池の真ん中にティップが飛んで行き
ウエーダーを家に取りに帰ってどぶに浸かってティップを探した。
2、海で釣り始めて間もない頃漁船が通る水道側にルアーを投げてしまい
ラインがスクリューに巻いて全部ラインが出た。
3、堤防でペンシルを浮かべて置き竿して弁当を取りにいったら鳥が引っ張って
タックルが海に飛び込んだ。
4、船が移動中弦においた錘が水に落ちてタックルごと水没。
5、腐っている木を握ってしまいそのまま落水。
6、岩に挟まった木に足を置いた瞬間木がシーソーのように動いて落水。
7、がけ上り中蛇を触って滝つぼに落水。
8、台風接近中に10mの岩の上で釣っていて高波にあって流されかける。
9雷魚つりの時,合わせの瞬間後ろにジャンプしつつ激しく合わせを入れたら雷魚の口から
カエルが凄まじい勢いで帰ってきて自分の股間に直撃しその場にもんどりうった。
10、ジャングルを薮コギしたら竿のトップが折れていた。
11、長らく歩いて釣り場に付いたらリールのハンドルが無かった。
12、グリップを忘れて雷魚釣りに行った。
13、雷魚つりで取り込み中に雷魚が外れて斜面を転がったので追いかけたら自分が池に
はまった。
14、走行中船の後ろからラインを出して拠れをとろうとしたら、抵抗がでかすぎてラインが全部出てしまった。
15、トッププラグで魚を釣っていた友人の横にいたら合わせ抜けのルアーが飛んできて
顔面に刺さった。
16、気温ー2度のときリールを水につけてしまい。
インフィニット部に水が入って凍って動かなくなり釣りができなくなった。
17、波2mの時に2人乗りゴムボートでキス釣りしていたら転覆した。ボートの中に入れていたキスは
全部海に帰った。
18.ジギングで毒ハタと知らずに生簀に入れたら生簀の魚が全部ひっくり返って船長にこっぴどく起こられた。
19.餌つりでヒラメ釣っていて、餌のアジと一緒の生簀に入れていたらいつの間にか
餌アジを全部食われていた。
20、沖縄でトローリング中海に落水
21、ヤマメつりで突然横の崖の上から猪が落ちてきて腰抜かした。
22、フッキングと当時、リールハンドル折れ。
23、飛び越えられないスリットを飛んで落水。
24、磯で前に出すぎて首の高さの波が来て後ろに転がった
25.バイクで釣り場を回っていてカーブを曲がりきれず田んぼに突っ込む
26・堤防で頭の高さの段差を降りたが逆に上れない。
27.磯釣りで食い物をバッカンに入れていたらカラスが全部持って行き水だけで
1日過ごした。
28.磯とまりで虫除けを忘れて次の日には顔が変わるぐらい刺された。

とまあ数限りないが根本的にこういった話には釣り人側の傲慢さや無知がついて回る。
中には命にかかわることもあるので有る意味反省している事もあるが。釣り場に行くと
基本馬鹿になってしまうので正直何時怪我をしても死んでもおかしくない。
最近は可能性を考慮した動作を心得るがたまに忘れてしまうことしばしばである。

チャプター17
フィッシングショー
フィッシングショーというものに携わること25年であるはっきり言ってこれには向いていないといつも感じる 適当な言葉でお客の足を止めて商品に興味を持たせたりするのはちょっと違和感を覚えるのである。 商売の一部としてそこにいるならそうするのが当たり前ではあるのだが25年の月日を経てもこの場所に対する 拒否反応は著しい。プロとはその方向の技術や知識を使ってお金を稼げる人のことを指すが なんというかその認識はとても薄いしそこに立てる自信がないのである。別に芸能人として生きていくのが目的では ないし虚ろな話を人前で出来るほどものを知ってはいない。勿論見に来てくれるお客さんにもいろいろな人がいる訳だが そんな人たちの前で成否もはっきりしない講釈を垂れて満足できる結果にはならないと思ってしまうのである。 見本市を知ったのは大学生の頃である。そのときはキャスティングの講師で行ったわけだが。 その後会社に入って金魚すくいの水槽と共に数年を経験することになる。JAFTMAは AFTMAの基本的にはパクリである。アメリカの釣具見本市は本来一般公開されてはいない。 静かなブース内ではビジネスの話がボツボツされて、展示品にも過剰な装飾もなく。 足を止めるようなセクシーなコンパニオンもおらず、当然契約プロと呼ばれる方々も見世物的なお仕事も 控えめであった。そういったビジネス的要素がおおきいショーだった。一方日本ときたらよくわからない ところに莫大な金がかかり一般向けの催しものだらけである。カタログの販売でブース代を払うところも 有るだろうしメーカーのメンツ的なところもあると思うが 大抵の場合夜のシフトが本業でないかと思えるような部分も多く 営業部の研修旅行の一環と思えるようなところがありありと見えるのである。 なんというかそんな中に酒に飲まれない性格の私の場合そういった事が楽しいと感じることはないのである。 確かにあまりいろいろ知らないころは釣具の殆どが集結するこの場所に対して憧れがあったが 釣り具とは机に並べられたりロッドポストに突っ立てるのが本来の使用目的ではない。あくまで釣り場で 使われて初めて感じられる部分も多いはずである。見本市での印象と現場での印象には大きな違いがあるのだが 例えば強そうに感じても現場では大したことがない 場合も多いのである。実際釣具を無負荷で触ってわかる事はかなり少ない。現場の状況と大きく違う 体勢で触ることもまたしかりである。最近はフィッシングショーに出展しないメーカーも増えてきて。 比較すら難しくなってきた。まあここ10年見て思うことは毎年コンパニオンのだけは綺麗で数多くなってきたな という辺りである。釣具に興味があってなおかつ暇をもてあましていて近所であるなら行っても 差し支えないと思うが2時間も見ればたいてい疲れて椅子に座りたくなるのは目に見えている。 一般向けにはカタログも有料でありレベルに見るならネタ的に不足しがちになるのも否めない. また近年はネットによって商品のスペックが先行するのでカタログを買う必要性は薄い。 特定の何かを求めてであるならそれも良いかもしれないがこの25年良いもの見たなというのは ゲストの元AVの葉山レイコちゃんを生で見たぐらいだろうか(爆) とにかく見本市に行く暇あったら魚釣りに行った方がましと思える。あくまで個人的な見解であるのだが まあ2月なので魚釣りも辛い 雑誌で楽しそうなレポートを見ると行ってみたくなる気持ちはわかるがモーターショーやゲームショーの方が面白い。 まあ面白いのはハリボテの裏の休憩室の中身とか夜の飯の時の酒に飲まれる可愛そうなオッサンの話あたり これを書くとたぶん本が一冊できるぐらい面白いと思うが私も一応業界に居たいのでとりあえず この辺りで


チャプター18
改造
いろいろやっていると自分で釣具をいじりたくなる。釣具メーカーに居た頃は適当なブランクを見つけて のガイドの換装やリールの改造等が思い起こされる。リールというのはいじり難い品物である。 だが昔のリールは結構シンプルな作りだったので特にベイトリール等はギアをもう少し大きくする などは結構簡単に出来ていた。何せNC機器や旋盤などは普通にあったので仕事の合間に作る機会は たくさんあった。無ければ作るというのは前の会社の上司の口癖だったが実際簡単なものなら 作るのは可能であった。しかし改良か改悪か?という辺りでいつも引っかかるのである。 ロッドのガイド換装に関する部分で必ずしもいい方向に結果が出るわけではない、GTロッドが無かった 昔のこと投げ竿が硬いのでガイドを付け替えて持っていったら弾けた、またロッドのティップを硬くしたいので 短くしたら折れやすくなった。今思えば当たり前の事であるが知らない頃は無知で恐ろしい改悪を続けていた。 この辺りでカタログ等の広告に書かれている広告文が信用出来んなーと思い始めたがまあ自分も悪かった。 と過去を振り返っても現在も同じような改悪を続けている。最近のお馬鹿な品物は2又4又のベイトロッド ブラインドの釣りを馬鹿にしたようなロッドであるのだが魚が限定されるので本当に使い物にならない ただ見た目のお馬鹿度合いが面白いのでやってみたのである。このロッド何処が難しかったか?というと 又の部分である。これを家庭用の溶接機でボチボチ穴あかさない様に作るのが面倒だった。 それを塗装してロッドを三方から押し込んで出来上がるわけだがドラグが一切出せないので辛いのである おまけにティップの数と同じラインを一時に巻き込むのでバックラッシュしたら地獄である。 1キロ程ならダブルで釣ったがそれ以上はやっていない。シイラつりにもって行って得て勝手に走られたら さぞ大変だろう。実際にもって行く程暇ではない。持っていると目立ちすぎるのもいただけない。 ただジギング等で何ジャークだと釣れるとか何ジグが良いなどという実験にはある程度信用できる結果が 出るだろう1度に一人で2本出すなんてルアーではまずないからである。 そういえば中学の頃は蛙を改造していた。当時は中空よりソフト発泡の蛙が多かったので フックの交換はなかなか難しかった。しかも針が無い、そういうときに土肥富太郎商店を 知ってビークフックを購入出来た事を覚えている。それを性能の悪いハンダでギターの弦で作ったウィードガード を固定してゴム用接着剤や瞬間接着剤等で止め直していた・当時の雷魚は
半端じゃない数が釣れていたので蛙の保全がかなりお財布に易しい行為だったと思う。 その物が持つ素材的もしくは構造的な 耐久力やそれに対する自分の欲求などをしっかりと見据えて行う必要がある。 プラスチック等の特性をわかった上で行わないと最悪の結果を招くのである。 金属加工でよくあるリールのハンドルの長短改造で当然長くすれば巻きやすくなるのだが ギアの寿命の事はすっかり忘れている。また付け根の耐久力も無視できない。 ルアーのリップの差し替えも最終的に ポリカ−ボのリップを瞬着でつけて安心していたら時間経過後に折れた等 基本どこかを犠牲にするにもある程度の知識が無いと改良ではなく改悪になってしまうのである。 まあ基本改造とはリールのハンドルやその他のちょっとした物程度に留めておくのが吉だと思う。 決して自分が今持っている既に最高スペックのものを何かやろうなどとは考えない方が良い
なぜかといえば大抵の場合失敗に終わる可能性を秘めているからである。 失敗にならなかったケースはというと靴あたりである。昔は軽い磯靴が無かったためフェルトを ゴムのりで靴の裏に貼って靴裏の縁の部分に木ねじを太鼓の革張りの釘のように ぐるりと抑えて使った。海苔が多いところでも重宝したその後ピンつきフェルトが出て靴も良くなった。 ので市販品に戻しているが当時はそればっかり使っていた。ロッドの改造も大きく変えなければ 有効な事が多い。ガイド換装や微妙なグリップ変更あたりならかなり良くなるのである。 つまり使用における性能的余裕が見られるものであるなら適当な改造も持ちこたえるという事である。 改造とは抜本的な改革は望めないが微妙に満足できる程度ならやっても悪くない。 ただ基本的に自分本体の改良なくして道具にそれを求める形になるとお金がかかるという事を 覚えておく必要がある。

チャプター19
家庭と魚釣り
釣りキチで家庭に問題を抱えている人はかなり多い。つりという趣味は結構時間を使う事が多いし 女性にとって好きになれる要素も少なく 現実また人気の無いところや生理的な欲求をリカバーできる場所も無い事が多い 女性とは常に共感を求める部分が表にでがちなのに対して基本一人の世界に浸ろうとする人間性では 何れか亀裂が生じる。とはいっても人間寂しさにはそうそう耐えられないのが現実である。 若い頃というのは空気読めないことが多くて自分が本当は可愛そうな孤独な男なんだと気づかない場合が 多々有って平気で人を切って孤独を生きていくことが多い。が、どうだろう基本何万人に名前が知られていても 孤独は孤独のままである。周りの人間とうまくいかなくて、結果魚や文章で遠くの人に共感を得ても自分が見せている部分 に対してという限定が付いてくる。自分自身を良く知る人たちは関係がうまくいかない人たちだという現実が付きまとうわけである。 そんな傲慢さを反省しつつ少し努力する今日この頃である。だが、異性との関係を維持するのはかなり 慎重な対応が必要である。釣のプロとは聞こえが良いが人生を歩むという方向ではアマチュアもしくはお子様な場合も多い そんな方々の真似をしているとたいてい異性に愛想を尽かされるケースが多発する。私もその一人である。 まあそれにメゲナイで2トライ目を頑張ってみているが・・・・。まあ。正直。自分の人間性における反省点も かなりあるので現行を維持できる事におもきを置いている。釣には若い頃のように無茶苦茶行くことは だいぶなくなったが仕事上行く事になる。それにもいろいろと気を使う必要がある。事前報告は勿論 事後の状況を良くする贈り物やみあげは勿論必要だと思う。これぐらい良いじゃない と思うが相手から見れば人に好きだといってくっついていておきながら、相手の都合や気持ちを無視して たまには一人になりたい等とは確かに虫のいい話である。釣り上げた魚には餌はいらない。的発想である。 確かに釣は釣り上げる事が楽しいわけでその後はあんまりどうだっていいケースも多い。 それを相手に求めるのはちょい失礼とは思いつつも原始的な欲求の為ならそれもしょうがないと思う人も居るだろう。 だが人であるが故に孤独には耐えられないまるで最近のインフレの仕組みみたいな生き方であるが とどのつまり1000人のうわべの知名度より1人の心からの信頼の方が心が満たされると思う。 それを維持する努力は釣と天秤にかけてはならないところだと思う。





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なっていただける方はどうぞ。

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釣りの質問等があれば当ページのほうが詳しく返事ができますのでそちらにお願いします。





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